教員に向いてない辞めたい!?やる気でない、教える仕事に向いてないかも?は自分が変わるチャンス!

教員に向いているかどうかよりも、向上しようとすることが大事。

教員に向いてないと思って30年余り教員を続けてきましたが、いつの間にか、教員であることに誇りを持ち、自信も持つことができました。

長く教員を続けてきて、もう少し頑張れば定年という頃に辞めました。

こんな自分がよくここまで教師を続けてこれたものだと自分で自分をほめたくもなりましたが、結局教師の道を続ける気はなくなったということです。

教員に向いていたかどうかと言われれば何とも言えません。充実した学級経営もできたことは確かですし、いい思い出ばかりです。

教員に向いているかどうかではなくて、教員として向上していくことできるかどうかがポイントではないかと思っています。

教員に向いているのかな、向いていないんじゃなかな、もう辞めようかなと悩んでいるあなたに、本当に教師は向いてないのか、どう考えていけば教員を続けていく気持ちになれるかなど、私の経験を通してお伝えしたいと思います。

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教員に向いてないと思う瞬間はいくらでもある

教員は様々な仕事をこなさなければならないので、すべてに対応できる総合力が必要です。けれど、それらを過不足なく果たしている教員はそれほど多くはありません。

むしろ、何かを大事にする一方でその他を軽くして、軽重つけて仕事をしているのがほとんどです。

また、仕事内容の向き不向きもありますので、これは得意だから楽にできると思う反面、苦手なものは誰かの力を借りながら果たしているのが現実です。

すべてにおいて全力をかけることはとても素晴らしいことですが、それはかえってマイナスで、上手に手加減して仕事のバランスを図ることが仕事を続けていくコツのように思います。

教員の最も大事な仕事は「授業」です。

ですから、この授業が満足に進められないとなると、かなりの負担になってきますね。一日のほとんどの仕事ははこの授業なのですから。

でも、この授業が嫌になるとか満足にできないということは誰でもあります。

しかし、子どもたちとともに授業を作り上げているので、子どもたちに助けられながら教員も日々学び、充実した時間を送っています。

授業は大変です。けっして楽なことではありません。けれど、この授業の時間があるからこそ教員はその仕事を通じて、幸せを感じていかれます。

ところが、幸せを感じながらも、辞めたい瞬間は誰にでもあるようです。

  • 朝早く夜遅く休み時間はほとんどなく疲れ切った中で成果が上がらない
  • 保護者の対応でもめるとき
  • どうでもいい内容の業務をしなければならないことが改善されない
  • 他の学級の様子と比べて自分の学級経営に自信が持てない
  • 教師間の人間関係が良好でない(学校の雰囲気が合わない)
  • 管理職と対立したり、良好な関係が築けなかったりしている

こんなことは、教員に限ったことではなく、サラリーマンならば通らなければならないような事柄です。

しかし、教員は公務員であり、信用信頼される中で成果を上げていくことが必要な特殊な立場にいるので、かなり多くのストレスを感じます。

そういったことも影響し、鬱になったり、やる気がなくなってしまったりして、その影響が子どもたちに現れてくる悪循環さえも起こしてしまうのです。

これらがさらに教員を追い込んでいくことになってしまいます。教員に向いてない、辞めたいと思うようになります。

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悩んでいる教員は心配性⁉な人が多い

子どもの見本となる以上、間違ったことはしないという気持ちを持っています。また、責任感もそれなりに強いので、成果が上がらないことで自分を責めるようになりますね。

逆に、周りが見えていない教員もおります。こんな先生は結構自分の考えに固執したり、見方が狭くなっている場合が多く、子どもたちの変化や状況をつかめていない先生が多いです。

さらに、こういったタイプの先生は教員に向いてないとは思わない傾向があります。

やさしくて、まじめで責任感が強い先生ほど自信を無くしがちで、人からの評価も気にしてしまうのです。

もっと、強くならないと乗り越えることは難しい。と思われることが多いですね。

どうして、こんな姿を見せてしまうのかというと、結局のところ、心配なのです。

どうなってしまうかが心配。どうみられるかが心配。自信がないから心配。どれもこれも心配が多いです。

心配が多いということは、いい結果を求めている証拠です。

どうでもいいと腹を決めている先生や半ばあきらめてそれなりに仕事をしている先生は気持ちが楽です。だから、続けることができているとも言えます。

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教員に向いてるかどうかは問題じゃないけれど

我慢する力がある人は教員に向いているかも

教員としてこの先生は本当に子どもの面倒を見るのが、好きなんだなあ。と思うことがあります。

困っている子、喜んでいる子、泣いている子等どんな状況であっても、その子を大事にしています。

子どもと接することが楽しいと思う人はきっと教師に向いていると思います。

でも、仕事として子どもにかかわっていると楽しいことばかりはないですね。

学力をつけること、人間関係を良好にすること、いじめをなくしていく、あいさつができるようにするなど、教員に課せられた指導という名の仕事です。

これらを実行していくことが教師の大事な仕事です。もっと理想を言えば、子どもが自立していくことができるように後押ししているのが教師であるはずです。

ところが、これらの指導はすぐに結果が出るものではなく、最低でも一年間でようやく成果が出てくるぐらいです。そんな構えでいないといけません。それが教育の世界だと思います。

結果を急いではいけないのです。

教師が思う以上に子どもたちは結果を急いではいません。また、教師のように先が見えているわけではないので、今やっていることがどうなるかもわからないでいることがほとんどです。

だから、じっと見守ることがとても大事です。

教師の仕事は、少しの力を絶えず子どもたちに与え続けることです。結果が出ずとも我慢してし続けることがいつか実を結ぶ、地道で忍耐力の要る仕事だと思います。

こうした教師のやる気を持続していくには精神力も必要です。

その精神力は、教員であることに誇りを持つことです。

厳しいことですが、どんな成果も失敗も、だれに比較されようが、されまいが、日本全国の名もない教員の一人として日本の教育を支えている一人なんだと思うことです。

いい評価されている教員もいれば、うだつの上がらない教員もいます。でも、どんな先生も子どもたちの成長を後押しをしているのです。

教員がそれぞれの力を出して頑張っているです。

教員に向いていない、辞めたいのは、自信がないから!?

学校は教師集団で教育活動にあたっていますが、仕事はほぼ一人で何でもこなしていくのが現実です。小学校の担任は、学級経営も授業も一人でこなしていく力が必要です。

ゆえに、独りよがりやスタンドプレーになりがちです。だからこそ、みんなで支え合って教育活動を進めていくことに価値があります。

一人で何でもこなすスーパー教師になる必要はないです。学校にスペシャリストはいりません。

しかしながら、指導がままならないとか力不足とかで、ほかの学年や学級が素晴らしく見えることがあります。そんなときにも、自信をもって教育活動にあたっていくには、自分のできることを一生懸命にやることです。

背伸びしても本物にはなれません。

とにかく、自分のやれることを継続していくことです。なんでもいいのです

自分の得意な分野があればそれでもいいし、ささいな指導でもずっと続けることです。

そうして続けていく結果、自信がついてくると思います。これは、子どもにも大人にも当てはまることです。

本当に簡単なことなのですが、自信を持っている人に共通していることは、あることをずっと続けているということです。

指導であったり、活動であったり、子どもとのふれあいであったり、続ける中で少しづつ成果が表れます。そして小さな自信を積み上げています。

これがあいまいだと、自分には何があるのだろうと自信を無くしていきます。

何でもいいから続けることです。

月並みな言葉ですが、人は人、自分は自分です。そもそも違うのですから、気にしても無駄です。

自分のあるべき力でしか仕事はできません。うまくいかないのはその仕事を果たすだけの力量がまだないということです。

ない力はつけていくしかありません。見方を変えるとか、やり方を変えるかとかして努力するしかありません。

自分にはできないなら、あきらめて任せるのも方法です。なんでも屋になる必要はありません。そういう、柔軟な姿勢も大事です。

子どもたちを教える立場にいる先生は、輝くみんなのスターではありません。大きな努力をして小さな成果を上げていく地道な姿が求められていると言ってもいいでしょう。

「非力だけど、頑張っているよ」という先生たちのおかげで子どもたちが成長できているのは確かなことです。

教員に向いていない、辞めたくなったら、相談しよう

教師を辞めることは、そう簡単に決断できないでしょう。

自分で別の道を選ぶことは勇気もいるでしょう。続けていくこともけっして楽な道ではない。どちらも大変なことは同じかもしれませんね。

一人で考えず、決めこまないで、誰かの声に耳を傾けましょう。

同僚からの指摘、上司からの指導、家族の声、子どもたちの声など自分以外の考えをどれほど受け入れられるかです。

そのうえで、自分の姿を見返して道を選ぶことです。

よくないのは、そういった周りの声を無視してわが道を行くことです。

プロ野球にドラフト上位で入団してきてもなかなか一軍に上がることができず、辞めていく選手にはある共通の姿があるそうです。

それは、「周りの意見を聞かない」ことだそうです。

最後まで、どうして球団は自分を認めないのだという態度があるそうです。

反面、一軍に上がってくる選手はコーチや監督の意見を聞き入れ、自分を変えていこうとする人が多いそうです。

持っている力よりもこれから得ようとする力が必要ということですね。

仕事だからできるのであって、好きでやってるわけではない⁉

教員向いていない辞めたい!でも、仕事だから続けられる

好きでなくてもできるのが、仕事です。

仕事だからできる。お金をもらうために頑張る。

わたしも教師には向いてないと思って30年余り教員を続けてました。

これだけ続けてこれたのは、きっと教員が自分に合っていたということだよという人はたくさんいました。でも、自分では教員をよくここまで続けてきたよなと思います。

公務員だから、税金泥棒なんて呼ばれたくなかったなんてことも思ってましたね。

続けていくと自分のものになるでしょう。この狭い世界で生きていこうと思ってプロ意識みたいなものも芽生えたのは恥ずかしながら30代の終わりごろでしょうか。

遅いですね。あと20年頑張って、教師として生きるぞ!なんてね。多分、仕事だから続けてこられたのだと思います。

教員という仕事が好きでも、仕事は辛いという先生は多いです。辛くても仕事だからと割り切って頑張ることはできます。

頑張って仕事を続けていくならば、何か目的が必要になりますね。生活のためとか家族を養うためとか、それはお給料をもらわないと生きてはいけないのですから、当然のことです。

一日中その仕事を一週間休まず、さらに辛さに耐えてやっていくというのは本当に大変なことです。

本当によく頑張っていますよ。先生方は。立派です。

辛くても乗り越えるには前に進むこと自分が変わること

仕事として続けていく以上その仕事にやりがいとか目標とかないと、本当につらいだけになってしまいます。

仕事としてやりがいをもって取り組むには、何かしら向上していく気持ちや態度が必要ですね。辛いだけで何もしないでいるということなら何も変わりません。

同じことをしていても成果は出ません。変わらないと伸びないということでしょう。

それには、成果なんかでなくても、前に進もうという気持ちをもって仕事にあたることがとても大事です。これは特に教員が持っていないといけない資質と思います。

「教育とは流れる水の上に文字を書くような儚いものだ。だが、それを岩壁に刻み込むような真剣さで取り組まなくてはいけない。」と先人は言いました。

教師を経験した人ならば、教育することの難しさとその厳しさを感じることでしょう。

そして、いくら力を尽くして子どもにあたっていてもそう簡単にその成果を期待するものではないぞ、ということも理解できると思います。

教育がそれほど大変なことであるならば、そう簡単に結果を求めてはいけないのかもしれません。

そのくらいの覚悟や開き直りをもって、教育に取り組んでいくことがむしろ必要なのでしょう。

自分が変わるということは簡単なことではありません。しかし、それをやっていくことがよりよい教育になり、自分の自信になることは間違いないです。

まとめ

教員に向いてない、辞めたいと思う人ほど、実は教師を続けているというか、これしかないと思って頑張っているのでしょうね。

教員辞めたいけど、家族を支えていくために頑張っている。それも正直なことです。

としたならば、その宿命に従ってやり続けましょう。

たぶん悩んでいない人はこの記事なんて目にも留めないでしょう。そんな人はそれでいいのです。

一旦立ち止まったあなたは、教員をするかどうか迷っている人かもしれません。頑張って続けている以上、自分を見失うことなくがんばりましょう。

その心構えは…

  • 自信を無くすと、もがく。自信をつければいいのです
  • 自信をつけたければ、自分を変えましょう
  • 仕事だからと割り切ろう!そのかわり、周りの声を受け入れよう
  • 教育は成果がなかなか出ない。じっと待つのも教育です!
  • 続けてこれたのは、教員をしていく仕事の力があったということです!

こんなことを心のどこかにとめながら目の前のことに集中していけるといいですね。

教員に向いてないと思ったら、辞めたいと思ったら、それは続けていかれる出発点かもしれません。

コメント

  1. わわわわわ より:

    この記事をみてとても元気をいただきました。
    私はとっても心配性で、考えすぎてしまう性格です。
    今は大学四年生で、来年もしかしたら小学校の教員になるかもしれません。
    しかし、日に日に、ほんとに私に務まるのだろうか、周りの友人みたいに子供のことをこころから好きになれるのだろうか、もうこれを考えてる時点で向いてないのではないか。最近はそんなことばかり考えて、気持ちが滅入っています。楽しいかもと、ポジティブに思える瞬間も少なからずあれど、心配で不安の方が大きいです。また最近は自分の何が良いのか、自信も消失しはじめました。
    どうすればいいんでしょう、と、とても他人任せなことを聞いてすみません。

    • nobita より:

      わわわわわ様
      コメントありがとうございます。私の記事で元気になっていただきうれしく思います。
      来年から教壇に立つということで、不安の中にいらっしゃるようですね。
      結論から申し上げますと、何事も経験してみないとわからないものですから、やってから答えを出しても全然遅くないと私は思います。
      私は子どもが好きで教師になったのではなく、きっかけはあこがれだったように思います。きっかけはそれほど重要ではないです。
      子どもたちに出会って、何ができるか、何をしたいのか、現場に入れば始めのうちはそんなこと考える暇もないほど振り回されるでしょう。
      でも、そのうちどうしたいのか、これでいいのかなど疑問や悩みが出てきますが、教師は子どもたちとの関係作りですから、すぐに答えなんか出てきません。
      命の危険がない限り、最低1年間はやってみるべきです。
      私は教師面するのがとても嫌だったので、先生であることをできる限り隠しました。はじめから俺は教師だあ、教師になるために生まれてきたんだあ、なんていう人はそれはそれだと思っています。
      教師も色々いますから、びっくりしますよ。きっと。(笑)
      私に務まるかどうか、自信はあったほうがいいかもしれませんが、少なくとも新卒の先生なんかみんな素人です。
      教えることなんかそのうち上手になります。大事なのは、子どもたちに23歳の人生観でぶつかることです。今まで生きてきた価値観で子どもたちにぶつかればいいんです。
      わからないことだらけなんだから、本読んだり、先輩の話を聞いたりして勉強していくことは大事です。
      私の新卒のころは、研修なんてほぼなかったから(校内の自主研修はあったが)先輩たちが無理やり教えてくれました。でも、自分自身の機が熟してないから入ってこないことが多かった。
      勉強はタイミングが大事。だから、躓いたらそこからスタートすればいいと思います。そのほうがよく吸収する。

      人生はいろいろあったほうがいいから、教師になってもすぐに辞めてしまったとしても、人生の出直しなんかいくらしてもいいんじゃないですか。
      向いてないとか能力ないとか考えるのは、やってみてからでも遅くないです。子どもたちにもいつも言ってきました。やってみなけりゃわからないでしょ。と。
      最近もあらためて納得した言葉が、物事は行動が先で考えが後なんだということ。それから、考えろというけど、考えているうちは人は動かない。行動するからわかるんだと思います。
      今でもわかったつもりになっていることが多い。でも、本当にやってみたら、すごくわかることが多い。人に聞くよりもまず自分でやってみればすごくわかる。
      学校にスペシャリストなんていりません。みんなで協力して教育を実践しているのです。自信に満ち溢れて非の打ち所がない人を子どもたちは好きになるでしょうか。
      子どもたちに先生らしくなってきたねと言われるくらいがちょうどいいのかもしれません。そんな安心感のある先生になってほしいと思います。
      話がすごく長くなりました。これは教師の悪い癖です。ついつい言いたくなってしまう。ごめんなさい。

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