親の子供への体罰を禁じる改正児童虐待防止法などが来年4月に施行されることを受け、厚生労働省の有識者検討会がまとめた体罰の範囲などに関する指針案(ガイドライン)の概要が示されたようだ。
しつけは体罰になるのか?
しつけとの違いを明確化し、体罰を「身体に苦痛を与える罰」と定義。具体例に長時間の正座などを挙げた。本年度内に指針をまとめことになるようだ。
体罰指針案では「たとえ親がしつけのためだと思っても、子供の身体に何らかの苦痛または不快感を引き起こす行為(罰)は、どんなに軽くても体罰」と規定されているらしい。
例えば、宿題をしないことなどを理由に(1)殴る(2)尻をたたく(3)長時間の正座をさせる-などは体罰に当たるということだ。
ここで、体罰が身体に苦痛を与えるという解釈だけでなく、不快感を引き起こすということであるならば、体に感じる不快感とは何だろう?
体に感じる不快感で調べたところ次のような内容になった。
人間は座っていても、立っていても、さらに寝ていても、体を支えている部分があるので、それらが長時間同じ姿勢でいることを体が自然に動いていい状態に戻そうとする。しかし、それができないときに不快を感じることになる。
この不快感が長くなると、さらに身体的に異常を感じ始める。しびれや痛みとなって、信号を出し、はっきりとそれを教えてくれる。
この痛みの前の不快感も身体的に感じることであるから、体罰に該当するということだろう。
体が感じる痛みだけでなく、不快な感じということならば、寒い、暑い、かゆいなどの感覚も不快と感じることは生活している中で大いにあることだ。
寒い部屋にいること、蒸し暑い中にいること。これらが罰として与えられずとも、しつけだからということでも、体罰としてとらえられてしまうのだろうか。
また、罰としてよくあることに「作業」がある。
学校などでは、罰として掃除当番とかいうものがあったが、今はほとんどなくなっているかもしれない。
これも、不快に感じる労働?であるとしたら、体罰になるということだろう。
風呂掃除を冷たい水でやらなくてはいけない。これを強要された子どもは、体罰になってしまうのだろうか。
罰のという範囲には、体罰だけでなく、精神的罰というものはある。
言葉によるものがほとんどであるが、ひどい言葉で罵られたり、悪口をいわれたり、顔に落書きとか変な格好をさせたりとか、これらの行為は、相手に精神的な苦痛を与える。
これも不快感以上のものである。身体的な苦痛よりも深く心に刻まれることが多い。
いじめなどは、身体的苦痛ではなく、精神的なものが多い。だから、立ち直れないし、記憶の中にいつまでも残る。
身体の傷はいづれ消えていくが、心の傷は消えない。と言われるように言葉の暴力のほうが怖い。
精神的に病んで、体の健康が損なわれていくのだ。これを体罰と呼ばないのはおかしいと思う。
精神的罰もそのうち確かな体罰としてとらえられていくのではないだろうか。
体罰指針案(ガイドライン)の検討会では次のように精神的な罰への配慮もされるようだ。
暴言など「有形力の行使」ではない行為は、法律上は体罰には含まれない。ただ、子どもへの影響は大きいことから、ガイドラインでは体罰同様に避けなければいけない手段であることを明記する方向
※厚労省有識者検討会初会合より
親の子どもへの暴力的な行為や苦痛を与える行為が体罰として法律化されている国は数多い。
日本は、身内ならば何をしてもそれが家族だという感覚がある。親に叩かれてもそれは家族だから当然のことだった。
本気で叱ってくれる延長線上に、叩くという懲らしめがあった。子どもを鍛えるための親だからできる行為だったものが、犯罪ということになる。
体罰指針案(ガイドライン)は、親と言えども子どもを守ることができない人間ゆえのミスから生まれたものだろう。
親だけが子どもを守れる最後の砦ではなく、社会の親がこれからは子どもを守っていくのだろうか。
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