教員免許更新制度で教師の資質は向上しない⁉その理由とは?

更新講習は30時間の講習。そのため、平日に休みを取って受講したり、長期休みに受講したりするが、一気に受講できるわけではないので、簡単なことではない。

教師の不祥事が後を絶たちません。

熱くなって叩いてしまった。などというレベルではない。犯罪を平気で犯す教員のニュースが多くなっています。

教員免許更新制度で教師の資質を改善できるとでも思っていたのでしょうか。現場の人間からみたら10年前にすでに疑問視していた教員免許更新制度です。

こんなことしても教師の資質は上がらない、免許制の問題ではないぞって思ってました。

かつては一度取得すれば終身有効だった教員免許に、10年に1度の「更新制」が導入されてから10年が過ぎた。目的は教員としての資質を高めることにあったが、導入以降も体罰やわいせつ行為などで懲戒処分を受ける教員数は高止まりし、大きな変化は見られない。神戸市立東須磨小学校の教員間暴行・暴言問題でも教員の質が問われる中、専門家からは効果を疑問視する声が出ている。

※神戸新聞より

こんなふうに報道されていますが、当然のことながら、教員免許更新講習のその内容は、教員の資質の向上の助けにはなっているかもしれません。

しかしながら、

教師としての資質は、教科の専門性や教育の専門性など多岐にわたり、教師が日々の教育活動で必要となるスキルは非常に幅広い。

これらをすべて身につけるということは、経験が非常に大事で、更新講習を受けたからといって、スキルがすぐに向上するわけではありません。

よくとらえれば、受けて損のない有難い内容です。

私も数年前に免許更新講習を受けました。

いくつかの領域(教科、教育関係時事、ICT、子ども理解など)から受講必須内容を選択して受講します。

どれも専門的な内容です。明日の授業に生かせるという内容もありますが、ほとんどは理論です。しかし、最新の教育内容を学べたことは確かなことです

どれひとつ無駄だというものはないでしょう。

でも、更新講習で教師としての資質が向上するかということは別です。

目の前の子どもに対応するための内容もありますが、情報を得ることのほうがほとんどで、人間的な成長や教師のあり方に大きく影響することはないと思います。

教育免許講習を受ける人たちの資質が落ちているということではないです。

現状の教育課題については、市町村の教育事務所および教育委員会が研修の実施を通達し、各学校において毎月1回以上の職員研修で対応しています。

最近の研修の中には、非違行為の防止についての研修やワークショップがとても多いです。

毎週のように、校長から教員の不祥事についての注意喚起を聞かされ、教職員の中に非違行為への意識はかなり高いはずです。

そもそも免許更新講習は非違行為防止のためにあるわけではなく、教員の資質を上げることで不適格者が減るという側面を持っていたのでしょう。

しかし、教員免許更新制度によって、教員の資質が上がり、非違行為が減るとは思えません。

教員の一人一人の考え方や教育スキルは、教師になった時から長い時間の経験と反省によって積み上げられていきます。

若いころの失敗が中堅になって生かされ、教育力のある教師がさらに重要な仕事を任されてスキルアップしていく。ベテランになるころには教育全体についての知識や能力が備わっている。

教師に限ったことではないでしょうが、若いころにどんな経験をしてきたかということやどんな状況下で仕事に当たってきたかということがその人の仕事の能力に大きく影響しているのではないでしょうか。

もちろん、その人のセンスというものが多少なりとも関係していることはありますが、教師を目指してきた人が教師のセンスがあり、教師を目指さなかった人がセンスがないということはないでしょう。

やってみないとその仕事に向いているかとかできるとかはわからないものですから、経験が大きく影響するのではないでしょうか。

たとえば、新卒の教師が少人数の学校の先生になって3年間子どもたちの担任として得た経験と、30人以上の学級の担任を任された経験とでは、同じ担任でも経験値がまるで違うのです。

どちらが経験豊かであるという比較はできません。

そのため、教員の異動は教師の資質向上やスキルアップも目的にした、広域の人事が行われてきました。大規模校の経験がなければ、大規模校に異動になり、山間地の経験がなければ、山間地に飛ばされるなどの人事によって、教師のバランスの良い配置と教師のスキルアップが求められてきました。

しかし、最近では、教員の生活を守るうえでも、居住地の範囲の中での人事も行われるようになり、教師の生活の負担を軽減しています。

もっとも大きな影響は、少子化による教員の削減と新卒者の減少です。

採用枠が少ないので、当然新たな人材は教育現場に採用されません。若い人材がほどんどいなくなり、教職員の高齢化がずっと続いています。

高齢になってきた教職員は、なかなか資質が変化しにくいでしょう。今までの経験で乗り越えてきた自信があらたな教師像を求めることになっていきにくいからです。

さらに、校内の自浄作用も期待できません。

それは、似たような年齢の集団であるから、刺激が少なくなっていくということです。異なった年齢が存在して、それぞれの経験値や考えを織り交ぜて学校という職業集団があるのですが、同じような年齢ばかりが多くなると、教え教えられという関係が生まれにくいのです。

教師は、それでなくても同僚性が強く、上司や部下という感覚はほとんどありません。学年があっても、学年主任の権限というものは運営上の立場ぐらいで、仕事を行っていくのは、教師一人の判断によるところを尊重されているからです。

これまで述べてきた内容は、ほとんどの学校の現状と変わらないものだと思います。

ただ、教育力のある学校であったり、よい教師集団であるかどうかは、その学校の職員集団の和が大きく影響しているように思います。

よい教育が行われている学校というのは、職員集団の和があり、互いに切磋琢磨して、大事なことは議論し、よく話し合って教育の質を上げていこうとしています。

しかし、何か問題を抱える学校は、互いの信頼性において不安があり、教員の心が互いに開かれていない場合が多く、いい考えを持っている教員はいますが、問題を抱える教員との折り合いが悪かったり、校長や教頭がリーダー性を発揮できていない場合が多いと思われます。

校長と教頭がそれぞれの持ち味を生かして、教師集団をまとめているならば、教員は安心して教育活動に取り組むことができるものです。

ですから、何かしら問題が起きている学校は、ほぼ間違いなく教師集団の和が薄いといっていいでしょう。

学校というところは、組織です。一人一人の教師が子どもたちに対応していますが、誰か一人の力では学校もその学校の子どもたちもよくなることはないでしょう。

学校には、スペシャリストはいりません。

一人一人の力を束ねて、お互いに補い合って、同じ方向を向いて、一緒に歩んでいかないと子どもたちを成長させることはできないでしょう。

子どもたちが前向きに学習しているとか、掃除に一生懸命取り組んでいるとか、行事に向けて盛り上がるとか、そうした雰囲気を持っている学校は、間違いなく教師集団が一つにまとまっています。

管理職も一般教職員もいい意味で距離を持ち、互いを尊重して日々の勤務に取り組んでいます。

馴れ合いに流されず、思いやりもあり、遠慮せず、そうした学校になるには、教職員がまとまるための何かがその学校にはあるのです。

真似しようとしても真似できないその地域の何か、その職員集団の何か、管理職の考え方かもしれません。

それは、何度も繰り返し言いますが、教師集団がどんな教員であろうとも、みんなで一つの方向を向いて一緒に歩んでいるからなのです。

校内で意見の対立はあっても、互いに尊重している間柄ならば、物事は良い結果を生み続けます。

学校を変えるのは、教職員であることは言うまでものありませんが、保護者の皆様も学校を支える欠かせない存在なのですから、要求ばかりしてもだめです。

保護者自身も学校のことに協力し、PTA活動に積極的に参加し、もらうばかりでなく、与える行動をしてほしいと思います。

公のことよりも個が重視されている今日、学校のやっていることや担任の指導について一緒に頑張ろうという気持ちを持ってほしいと思います。

教員の資質は、教師一人の努力では変わりません。

不祥事が何度も繰り返される地域では、残念ながらその地域の雰囲気や教職員の和に問題があるのではないでしょうか。

教員免許更新によって、教員の資質は必ずしも向上しません。

それよりも、学校の勤務環境を整えること、資質の向上というよりも適切な人事を行うことで適材適所に教員を配置することが大事だと思います。

一学級の子どもの数を減らし、教師の数を増やし、組織力を上げて教育をしていくことです。

日本はまだ一人の教師の力に頼りすぎです

学校という組織力を上げるには、教師が主になる教育の在り方が必要です。

限られた条件で次から次へと要求が降りかかるような今の教育体制はもう限界を超えているのです。

例えば、働きにくい職場で社員の和があるでしょうか。ブラックな会社の社員はみんな笑顔で生き生きとしているでしょうか。

学校現場がブラックと言われている中で、英語だ、道徳だ、プログラミングだと振り回され、親からも暴言でたたかれ、ストレスが溜まっても吐き出す時間がなく、休日も出勤し、元気がなくなるのは当然です。

あれもこれもと、教師に学校に変革を求めてきている文科省や政府ですが、根本的な問題は教師の資質の向上ではなく、教育システムにあります。もっとお金をかけないと解決はしない

教員が教育しやすい環境整備が最も大事な改革です。

いろいろと述べてしまいまして、まとまりのない話になりましたが、とにかく免許更新制で教師の資質が上がるのではないということです。

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