小学校は先生が一人で何でもやらなければならないという印象が強いですね。また、なんでも教えることができるマルチなところが大変さをさらに濃くしていますね。
我慢に我慢を重ねながら日々奮闘している小学校の先生方。
もっと働きやすい環境を作らないと教育の質はどんどん落ちてしまいます。
教師が自分の何かを犠牲にして子どもたちのために尽くすことが多いのではないかと思います。自己犠牲ではいい仕事にはなりません。
やはり、他人の幸せを願うのであれば、自分自身も幸せでなければ幸せを教えることにはならないと思いますね。
そのために手っ取り早く自分たちで動いて改善していかれたらいいでしょう。
小学校の教師の働き方改革を人任せにせず、自分たちの学校とか自分自身から始めていくことを大事にしましょう。
私は経験から、小学校教師の働き方の改革を次のように考えています。
先生たちが自分たちから変わろうとしない限り、働き方の改善は無理。そして、本当に大事なことは必要なことに時間をかけること。また、負の習慣はいらない。
実際の現場の視点で考えてみました。小学校の教師の働き方改革とはどのように考えて何をしていけばいいかを紹介します。
さあやろう!教師自ら働き方の改革です
小学校の教師の働き方の改革とは、だれかにお願いするのは時間がかかりすぎてだめです。
そもそもなんでもそうですが、現場の人間が一番何が必要かと分かっていてその人たちが動いて物事を変えていると思います。
ちょっと話が飛びますが、震災の復興を例にとっても、国の方針と地域住民の願いはいつもずれているように感じます。
現場がとにかく重要で、その現場をよく知る教師が動かなければ、現実的な解決策は生まれてこないと思います。
とある刑事ものの映画の一場面でも、”事件は会議室で起きているんじゃない!現場で起きているんだ!”というくだりがありましたね。
本当に、現場の教師が動かない限り何も変わりません。少なくとも現場から動いていくことで上の方々を動かすことになるのだと思いたい。
さて、どんなことが小学校教師の働き方改革としてできるかと上げてみます。
人的配置は最重要 一人一人の可能性を伸ばそう
教師の働き方改革の目的は教育の成果に焦点を当てるわけではなく、教師が元気に健康的に働くことができることが目的と思います。
ですから、基本的なところが整えられていないといくら後から頑張っても改善はうまくいきませんね。
働き方改革とは、新たなものを取り入れるのではなく、まずは自分たちの働き状況を見直しすることが第一です。
その中でそれぞれの先生方の力量がきちんと発揮されているかを見ることです。
大事なことは、その学校で働く教師それぞれの力量がバランスよく発揮されるように校内人事を組織することが重要ですね。
校内人事はもちろん管理職の仕事ではあるのですが、教師の場合は希望や要望が結構受け入れられてしまい、学校の方針通りに人事が整うわけではないです。
校内人事でもっとも改善すべきことは、適材適所です。
とかく、小学校では高学年の先生に仕事の負担がかかりやすく、低学年はそれに比べて楽ということが多いです。高学年の先生は担当教科も多く、指導する領域が多いので、関係のある学年の教師がやらざるを得ない部分はありますね。
運動会の指導でもリレーの指導や応援団の指導など、児童会もそうですね。クラブもです。とかく高学年の教師が主任になって仕事量が増えていくのです。
しかし、学校組織として学校全体で一つのことを成し遂げているわけですから、学年の指導の特性は大事にしつつも仕事の負担は分け合わないと改革は進みません。
それともう一つ大事なことは、小学校の教師一人一人が自分の可能性を常に広げる努力をしていくことです。
「専門じゃないからできない」という先生が多いですが、小学校ということろは教科の専門性を発揮するよりも、教育の専門性(取り組み方とか、意欲をもたせるとか、評価の仕方とか、集団の動かし方、聞かせ方・話し方など)を発揮することのほうが大きいのです。
それほど高度な専門性は要求されないので、自ら学ぼうとすればできるのです。
現に、私が勤務した学校でもうつ病で休職されていた先生がいました。この先生は復帰することが難しいかなと思うほど人が変わってしまわれていましたが、元気になられ、大学でも国語の専攻で理科系ではなかったのですが、なんと自分の全く専門外の理科の専科教師として再スタートしたのです。
自分からもとても勉強されて、この先生の理科の授業は子どもたちにも好評でした。この先生の専門は国語です。
さらにほかの学校に移動されても理科専科をされて、なんと教育課程の公開授業もやり遂げるほどになったのです。
教師は専門外をやりたがらない傾向があります。プライドを捨て、ゼロからでもできるのです。できないことなどほとんどありません。
何でもやるという心構えがあれば、どんな状況でも立ち向かっていけるはずです。やってみればわかります。
教えることにばかりとらわれてしまうものですが、大事になことは、子どもとともに歩むことです。これが教師の基本でしょうね。
調査関係の取り組みは捨てる
教師の働き方改革とは、余計なことはしないことです。
学校にお願いされる調査やアンケートなど、さらには何かの実践報告の提出。こうしたものが昔に比べ本当に多くなりました。
業務がIT化したことも影響していることでしょう。
これらのいわゆる雑務が教師の仕事を多くしています。そして、これらの仕事は子どもたちには直接還元されることはあまりありません。
こんなことをたくさんやっても、子どもたちの学力が向上するとは思いません。もしこれが学力向上になっているというならば、それはその方の慰め行為だと思いますね。
子どものためになるんだよ。なんてことはまずありえないことをよくよく理解しないとだめです。アンケートの集計もレポートの提出も全て大人の世界の都合であって、子どものこととは別物です。
それも現場の教師が必要を感じてやっていることではないのですから、本当に余計なことなのです。
これらの余計なことはなかなか止めることができないのが現状でもあります。こういうそれほど大したことでもない仕事でも(もちろんかなりの時間を要するものもあります)じゃあやめてしまえということにならないので厄介なのです。
しかし、これらのことは教頭先生の裁量でどうにでもなることが多いはず、地域の教育会とか教育委員会へもきちんと話をしていけばどうにでもなる話です。
それでもだめならば、必要最小限にして本当にこういったアンケートとか調査にはひどい話ですが、適当に答えていくぐらいじゃないと仕事の精選なんかできません。
そもそもどの仕事もすべて優先順位とか軽重があるものですから、ちゃんとふるいにかけて、なくすものはなくさないといけません。
学校は何でも簡単に引き受けない
教師の働き方改革とは、八方美人にならないことです。
なんでも学校に任せればやってくれるという地域の信望のようなものがありますが、きちんと話をして断りましょう。教育委員会からの些細な調査も本当にやらないといけないものなのでしょうかね。
管理職などは自分の代で手を付けたくないのか、こういう課題を棚上げしたり先送りしたりしていますが、教員体質なのか、「いいものはいいのだから続けるべき。時代に流されるな」といった感覚がありますね。
どんなにいいことでもやめる決断をしないと他のことまで影響していくのです。
大事なことは、今の学校にはもう余裕がないということです。地域にいい顔をしないことです。管理職の教師も、余計な仕事がふえるような要望には、ノーを言えるようになっていかないと先生たちを苦しめるばかりです。
みんながやりたくないと思っていることはやめる
教師の働き方改革とは、負の習慣はやめることです。
学校の教職員がやりたくないと思っていることは結構あります。
そういうものを今まで続けてきたのは、やめてしまうと仕事がしにくくなるのではとか、まあ少しは価値のあるものだからなくすこともないか、といった捉えがされてきたと思います。
しかし、本当にないと困ることなんかそんなにないのです。
その仕事なくてもなんとかなることのほうが多いのではないでしょうか。
そんなもうやらなくてもいいとか、もっと減らしてもいいとかいうものを挙げてみましょう。
- 毎週のような職員会議
- 研究授業
- 地域の学校間の職員会(学年会など)
- 教育会の委員会活動
- 家庭訪問
- 参観日
- 集団登校、集団下校
これらの中で、最も改善の手が加えらえないのが、外部とのつながりです。
教職員の管理職やOBがリーダーとなっている場合が多く、その方々の自己満足的な活動になっていることは少なくないです。
委員会活動などもう十分に尽くされているのですが、それらの成果を各校で生かしているかといえば、生かしている時間やゆとりはないのです。
今の時代は委員会とかトップがあってそこから下りてくるトップダウン方式はもう要りません。
学校が独自に成果を出しながら、学校が発信していくという主体性を持たせないと教職員はもう疲弊しています。
職員会はいらない⁉
働き方改革になるのではないかと思い、提案するのが職員会なしです。
職員会については、こんな例があるので参考にしてみてください。
これはもう10年以上も前の実践です。
とある小学校は、職員会議が一度も開かれません。
その代わりというか、職員が週に2度ほど議論する(ディスカッション)場が設けらえているのです。
その議論の場は、何をするかというと、
二つのテーマについて自分の考えや意見を述べる。
- 自分が今取り組んでいる研究や校務の状況について
- 子どもの生徒指導面について
この2つだけを述べる。でも、話す時間はたったの1分。これを少人数の5人程度で車座になって行う。
時間が来たら、時間を知らせる人、一応その場を進める司会役が一人であるが、5人とも同じことを時間が来るまで繰り返し行う。
ルールは順番通りに話すこと。途中で口を挟まないこと。誰かの考えや意見について否定をしないこと。
これをすることで、それぞれの考えや悩みを共有することができたという。
職員の誰もがどんな思いで仕事をしているかとか、自分の悩みはなんであるかとかそういう機会が普段の学校の現場ではほとんど共有することが難しいですね。
しかし、この学校ではこの職員が何をどうしたいのかを、何を大事にしているかを重視しながら校務を進めているという。
では、職員会のない状態で行事などの運営についてはどうするのかというと
- 計画案は全職員に提案する。文書等で示す。
- 異論や意見があれば直接その担当者に相談し、必要があれば修正して提案する。
きちんと案を読み、理解して実施の時には疑問点がないようにしておくのが大事とのことでした。
これで学校は動いていくのです。慣れてしまえば平気です。
従来の必要だったものは今はなくてもできる
職員会がなく、全体の場での発表がないので、確かに自分自身がきちんと読んでしっかり計画を理解しておかないと実際の場面でみんなに迷惑をかける心配はありますね。
でも、全員で議論する内容ではないことをいちいち職員会という場にかけて一応みんなで確認し合うというのは時間の無駄と言えます。
職員会は確認事項が多く、生産的な話し合いというのはほとんどないのが職員会の性質ですから、なくてもいいという声は多いです。
今では、校内でもIT化でタイムリーに発信したり、共有できたりすることも非常に楽です。いちいち印刷して配布する手間が省けるし、だれが読んでないかも把握することもできますね。
働き方の改革というと、時間の効率化とか業務の削減とかに目が向きますが、学校の体質として何を大事にしていく職員集団であるかを見極めていくことが大事ではないかと思います。
きっと、従来の当たり前の業務や会議はなくてもできることがわかってくるのだと思いますね。
定時退勤 仕事は時間で終わりにする
教師の働き方改革とは、時間で区切って仕事をすることです。
教師の仕事は普通に業務をこなしていても、定時退勤までにその日のうちにやっておいたほうがいい仕事はまず終わりませんね。
特に学年主任であったり、年齢的にも30代後半にもなればとかく仕事の量も増え、定時に終わりにして帰ることはしないでしょう。
それは自分の首を絞めることになるからです。仕事が先延ばしになって結局どこかでたまったものを処理しなくてはならないからです。
これは教師に限ったことではありませんね。
ところが、教師の場合はいつまでも仕事をしても子どものためだからという変な価値観があります。
だから、早く帰らなくてもいいという観念です。
確かに仕事が終わらないし、打ち合わせなどをしていたら退勤時刻を簡単に過ぎます。
いくらでも仕事はあります。
でも、だからこそ時間を決めて、その中で集中して仕事をするのです。
成績処理ができないとか、教材研究ができないとかそれははっきり言ってそうなっていることがおかしいのです。
だから、いつまでもダラダラと会議をしていたり、どうでもいいことに時間を費やしていたりしていることをやめることが先決です。
本来の授業の準備とか学級事務とか、子どもたちに還元される仕事をするのが教師の優先的な業務でしょう。それができる職場にしていく努力をしましょう。
少なくとも、毎日18時には管理職も含めて、全員が退勤することを実行してみたらいいでしょう。
限られた時間の中で大事なことを一生懸命にやる。これです。
教師の働き方を改善するには、時間をいかに有効に使うかということを何よりも大事にしていかないといけません。
楽をする教師を無くす 公平に仕事をする
教師の働き方改革とは、仕事の負担はみんなで分かち合うことです。
小学校の先生たちの適材適所については、前段で触れましたがバランスよく人材を配置することです。
しかし、それなりに仕事ができる先生にはやはり仕事が任されてしまうわけです。それが、教師の仕事の格差になっているのは事実です。
ひとりで多くの校務を抱えることはすぐにやめましょう。
あなたがやらなくても誰かがやれます。もしも、あなたが明日から出勤できなくなったら代わりに誰かがやりますよ。あなたが無理にやる必要はないのです。
逆に、やりたくないからやらないという先生になってはだめです。まるで子どものように、できないからとかやったこないからとか理由をつけてやらない先生がいますが、その時点で教師としての資質に欠けるといってもいいと思います。
専門外だからということは理由になりません。企業なら給料や査定に響いてしまう可能性があります。もちろん、無理をするということではないです。働き方を改善しようとするのに、負担増になっては本末転倒ですから。
できるのにやらないということをなくして、みんなで分かち合うということです。
仕事は快適にできるのはいいことですが、新しいことに挑戦していくことが仕事の質を上げていくことになると思います。
行事は質を考えよう
教師の働き方改革とは、行事の見直しです。
小学校の行事の精選はずっと昔から取り上げ、見直しをしてきているものの一つです。
遠足、社会見学、運動会、音楽会、児童会の行事、クラブ活動など削減されたり、縮小されたりしてかなり学校の行事の内容も変化しましたね。
保護者や地域の期待や要望に応えることも必要なので、行事の精選は本当に難しいものです。
今までのやり方で成果もあり、子どもたちも意欲的に取り組んできたということがあるからです。
大変だからという理由で難しいことを無くして指導時間を削減したというものではねらいがはっきりしていないから面白くないのです。
行事の改善は質を変えることです。その行事では何を狙うのかを大事にしましょう。
行事にいくつもの目的や価値をつけず、この行事はこのためにやるのだという狙いを絞り、そのための質を上げることを大事にしましょう。
運動会でも高度な組体操がなくなり面白くないというのではなく、どんなことを運動会で達成させるかです。
たとえば、組体操が高度なものをすべてやめたなら、完成度をうんと上げるとか、組体操ではなくダンスを極めるとか。
時間がなくてそういうものができないというならば、そもそもその運動会では何を狙うのかということをはっきりさせておかないと改善などにはなりません。
使えるものは何でも使おう
教師の働き方改革とは、時代の最先端技術を活用することです。
ITの時代になったけれど、学校では未だに出席確認を手書きでやっていたり、保護者への連絡を連絡帳でやっていたりするわけですが、時代がスピード化しているのは賛成しませんが、時代に合わないような取り組みは変えるべきです。
携帯電話が普及しても、休みの連絡や相談などはずっと連絡帳を使ってやっていますが、そもそも電話が職員室には1~2台しかありません。
先生方の机に電話があるわけではないのです。
学校の電話が一つぐらいしかつながらないから、保護者がみんなで電話してきた大事な電話もつながらなくなる恐れがあります。
だから、連絡帳での連絡を基本としてきたのです。
もちろん、教師としっかり話せる手段としては有効に働いていますが、さまざまな連絡手段を使えるようにしていくことで教師や保護者の負担は減るでしょうね。
連絡方法にメールやラインがあってもいいと思います。セキュリティの面を考えたら制限は必要ですが、きちんとルールを設けて使用すれば非常に有効な連絡手段です。
学校集金なんかも学校単位で改善することはできます。いつまでもお金を教師が集めて処理するなんてことはもうやめるべきです。
保護者が口座を作り、そこへ振り込めばいいのです。それなのにいつまでも手集金などをしている。もちろん、手集金したほうが確実に集まるからという理由だそうです。
他の方法でできる時代なのにどうしてそれを活用しないのかです。やってしまえば簡単なことなのに、学校の先生方がやらなくてもいいことは他にもたくさんあると思いますね。
まとめ やればできる働き方改革
小学校の教師は朝早く出勤して夜遅くに帰るなんてことは、私が30数年前のころでもありました。
土曜日があった時代です。半日しか授業がないのに、そのあとはずっと仕事です。帰宅時刻は午後7時でしたね。
それでも土曜日は早く帰れてうれしいと思っていましたね。でも、今の時代と仕事の内容が違います。その時代は遅いのは大体、研究があるからでした。自分たちを高めるための研鑽の時間が遅くまで仕事をしていた理由です。
今はそうではなく、事務処理やら保護者の対応やら校内の諸問題対策などに時間をとられ、本来の学級担任の業務である学級づくりや教材研究など、明日の授業の準備などを満足にやれる時間がないと言っていいでしょう。
小学校教師の働き方改革とは、どのようにとらえて何を大事にするかを実際の現場の視点で考え紹介しました。
- 一人一人の教師の可能性をのばすこと
- 調査関係の仕事は減らす
- 学校は何でも引き受けない
- みんながやりたくないと思っていることはやめる
- 定時で退勤 仕事は時間で終わりにしよう
- 楽する教師をなくす 公平に仕事をしよう
- 使えるものは何でも使おう
これらのことは、大事だと思っていたり、できたらいいなあと思うでしょうが、やれないことはないのです。
やった学校だけが本当に改革をしようとしている学校であり、そんな中には輝く先生がたくさんいらっしゃることでしょう。
教師の働き方改革とは自らが変わることだと思います。まず、それから始めていきましょう。
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