高学歴は使えない仕事できない⁉学校は何のためにある?

学校教育に携わる方々ならば、こうした声にも関心を持つことが大事ではないかと思い紹介します。

高等学校への進学率は、98.8%、大学へと進学率は、58.1%です。

社会に出ていく若者の3分の2が高学歴になります。

その人たち全員が使えないということではないわけですが、勉強の成績はいいけど、仕事をする上では「使えない」となると、勉強は役に立たないということになりますか。

学校で教えている学習内容は、非常に有意義なものですが、子どもたちの学習の目的は試験に合格するため。それが日本の学校教育と言われても仕方がないでしょう。

小学校でも勉強したことをテストで確認し評価し、中学では毎学期のテスト結果がその子の学習結果となり、高校受験に向けて日々勉強に取り組むのが、義務教育のゴールです。

学習内容は多義にわたり、非常に高度な内容だったり、面白い教材を取り上げたりして子どもたちの学習意欲を高めてくれることも大いにあります。

確かに学年が上がるにつれて、専門的になり、それぞれの分野の面白さを学習を通して学ばせようとしています。けれども、それらの勉強は、つまるところテストという確認手段をもって評価されることがほとんどです。

勉強ができることはテストで高得点をあげることになっています。

そのためには、テストでいかに正解を答えることができるかにかかっています。

問題に対して、的確な解答ができるように勉強することが子どもたちの勉強になってしましました。

多くの問題は答えが一つです。正答することが大事なことで、それ以外は必要ないのです。テストは努力の姿を評価するのではなく、考えの過程を評価されるのではなく、一つだけの答えをいかに正しく答えることができるかなのです。

どれだけ知っているかを問われているようなものです。

いかに暗記しているかが大事なことであり、正解以外は必要ないのです。

それが子どものたちが必要とする勉強になっています。そして、

学校もテストでの点数が高ければ高いほど、勉強ができる子どもであると評価しているのです。

こうした勉強のできる子どもは、偏差値の高い学校を目指します。

テストで高得点をとれる子どもが有名高校、有名大学に進学し、高学歴で有名大学を卒業した人材が一流企業に流れていきます。

一流企業も学校の成績が優秀な人を採用するものですから、そんな人ばかりが集まってしまいます。

学生時代のその人の評価も大学の勉強の成績です。その成績もテストの点数が元です。

ところが、最近は例え高学歴であっても簡単に採用してもらえない状況になってきています。

それは、勉強はできるけど、自分から考えて行動できない新卒者が目立ってきたということでしょう。

昔もよく取り上げられた、「言われたことはできるがそれ以上のことはできない」面白味がないということでしょうか。それでは、社会で通用しないぞって。

とはいえ、社会に出て通用しない人間を育てているなんて言われて黙っていられる先生はいないはずです。

学校の勉強は何のためにするのか、それは人生を豊かに生きるためであるはずです。

通用しない人がいるかもしれないが、学校で学んだことや経験したことがその後の人生の糧になっていると信じて、日々のカリキュラムを進めているのです。

でも、昨今話題に上がる、「日本の子どもたちの自己肯定感が他国に比べて低い」ことは、学校教育の責任でもあると感じないではいられません。

会社に入っても、マニュアルがないと何をどうしていいのか、自分から行動できない新入社員が多くなったという声も確かにあります。

多感な青春時代を学校という世界は、子どもたちにどんな力を与えているのでしょうか。

重要にとらえないといけない課題だと思っています。

以下の記事をご覧ください。

「高学歴は使えない」は本当だった? 

※引用:文春オンライン

この記事の反応を集めてみました。

  • 学校教育で「生きる力」を身に付けられないのは昔からで、今に始まったことではない。「生きる力」を身につける教育が叫ばれるのは、それがないと真面な人生を歩むのが困難だから
  • 行政の言い訳 マニュアルに反映して再発防止に努めます。 即ち、作業者業務を自認している対応。 学習指導要領に沿った、教科書通りの詰め込み教育の弊害。 自ら思考、創造する力を削いでいる。
  • そういう土壌を作ってしまう傾向があるにせよ、 それに溺れてしまうのは、学校、教育、教師の問題ではなく、本人の問題。 環境によらず成長できないと、これからの時代きびしそう
  • 人には適材適所があり、人は使い方使われ方次第で有能さを発揮するチャンスはあると思います。
  • もう社会で優しく子供を育む気がそもそも無いし、既得権へ群がる守銭奴共が格差を拡大させた 国民の余裕を奪いさもしさを植え付けた 教育といいつつ子供を巻き込みひとつの評価で暴走させた結果
  • バイトでkoとかwsdとかT大とか高学歴といわれる大学行ってる子何人かいたけど、別にバイトとして使える使えない(視野が広く臨機応変に対応出来るのか)は学歴関係ないんだよな〜
  • これめちゃくちゃ面白い そして学校の成績が良くなかった自分は大丈夫と言い聞かせる
  • 性格や人格、社会適合性は自分の努力でどうにかなるものだとは思わないが。教育のせいだけではなく生まれ持った資質の影響も大きいと思う。
  • 受験がゴール、ここ頑張ったらあと人生ずっと安泰。こういうことを本気で思ってるやつが会社を崩壊させる。高学歴で使えない、会議大好き、考えるのは保身だけ無能役員、人を叱れない。会社は社会についていけなくてぶち終わる。

様々な立場の方々の声は、どれもみんな共感できます。学校だけの問題ではないと思いますが、それぞれの立場の人間が真面な行動をすることで良い方向に進むのではないかと思いますね。

関連記事:学校は何のためにあるのか。

以上の記事で述べられていることが教育の在り方を考える上で大いに参考にするべきではないでしょうか。

少なくとも、私は中学高校の学習内容が子どもたちに合っていないと思っています。

大学や専門的なことを学びたい人は、より上の知識が必要になりますが、人それぞれの持ち味は同じ場所では培うことができないと思っています。

学校の教育力はそもそも人生を変えるほどの力はないわけで、学校教育は最低限の力を与えてくれるところでしょう。

高い能力や幅広い知識などは、学校以外の世界で獲得していくものだと思います。

学校以外での経験がその人の成長に生かされていることは確かなことです。

ところが、学校教育の時間が非常に多く、青少年は多感で貴重な時間を受験のための勉強に費やしていることはとても苦慮すべきことではないかと思います。

さらに、学力の格差を学校教育の現場では解消できていません。

勉強のできるいい子たちにとっては、学校の授業や学習は受け入れられていますが、そうでない子どもたちにとっては時間の無駄とも言えるのです。

学校教育の成果が表れていないということではないのですが、今一度、学校って何のためにあるのかということを問い直す時ではないでしょうか。

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