教師の不祥事が報道されることが多くなりました。「ああ、またかよ⁉」って思うことが多いですね。
なんでこんなことするのか呆れてしまいます。
教師だから、一発で懲戒免職で人生終わりだよって、何度も研修受けてるのに。
家族も子どもたちも人生が変わってしまいます。
そんな教師の不祥事で学校現場も余計なことに振り回されています。でも、教師だからニュースになるのであって、一般の人ならこれほど重い罰は受けないはず。
公務員だから仕方がないだろうけど。
本当に教師の不祥事は多いのか、なぜ起こるのか。不祥事の原因を考えてみました。
どうしてこんなにニュースになるのか
教師は間違ったことはしない⁉
毎年のように教職員の不祥事が報告されています。以下の一覧(一部)は教職員の懲戒処分とその非違行為内容です。
教師の不祥事は、年齢や経験に関係なく起こっています。
教師の不祥事は世の中に衝撃を与えてきました。それは、教師たるものが不道徳な行為をするはずがなかったからです。そういう職業として教師は認められてきたからです。
さらに、子どもたちに正しいことを導く立場にありながら、社会的に間違ったことをするなんてことは本当に稀だったはずです。
教師が間違ったことをするものではないなどということは、誰もが思うことです。その誰もが思うということは、そんな日本の教師の存在が大きかったからだと思います。
日本全国どこへ行っても教師はいて、その教師が日々子どもたちに正しく生きるべきことを教えてきています。
子どもたちはいろいろな先生に教えてもらいながら大人になっていきます。小学校も中学校も、そして高等学校の教師もみな子どもたちの先生で時として人生を変えるほどの影響力を与えます。
しかし、いいことばかりではなく失敗も多いものです。
教師の失敗はやはり子どもがだめになることです。だめになるとは、学校に行っているのにいいことがないということです。
学習の成績が伸びない、人間関係がうまくいかない、間違った行為をする、大人の言うことを聞かない、などです。
こうした失敗は今までの学校教育の中でも多く取り上げられてきました。
子どもたちを導くために時として体罰はある程度容認されていたことは事実です。私たち大人が子供だった頃、小学校でも中学校でも戒めとして先生が子どもをたたくなどということは当然のようにありました。
叩かれても先生がいけないという認識は保護者にはなかったのです。
先生という存在はこどもにとっても親にとっても一目置かれる存在であったことは言うまでもありません。
何をしなくても教師というだけで一目置かれることは、教師の歴史の中で作り上げられてきたものです。
そして、教師になるとその教師という肩書を非常に大事にしてきたことは確かなことです。
人間である前に教師であることを第一に考えて行動することが求められ、私自身もそれに疑問を持つことはなかったです。また、公務員という縛りをあえて自分に課していたことも事実です。
しかし、そんな教師も間違ったことをしてしまうことが明るみに出てきました。
社会的なマナーやルールを無視する人たちがだんだんと多くなってきたことがひとつの要因かと思います。このくらいはいいだろうという甘えや弱さが教師にも多くなったのでしょう。
いろいろな考え方に賛同する人たちが多くなり、それらの考えや思いが情報化社会とともに多くの人が共有することができるようになったこともあります。
情報化社会では不祥事は大注目される
私が教師になったもう30数年前の頃でも教師の不祥事はありました。
例えば、ある男性教師が夜晩酌しているところに子どもの生徒指導関係のことでどうしても家庭訪問しなければならなくなり、自分で車を運転して出かける途中、人身事故を起こしてしまった。
この教師の処分は、ほかの地域への転勤でした。こんな程度の処分だったのです。その地域にはいられないから転勤してきたということだったのです。
他には、教頭先生が保護者と不倫関係になり、駆け落ちしてしまったということもありました。教頭先生がある日突然、仕事を放棄していなくなってしまったのです。
これらの不道徳な事例は、当時は公にされることはなく、関係者の間で、世間にはできるだけ知られないように明るみにしないように配慮されていました。
教師のあり方を非難するよりも、よくないことをあえて関係のない人たちには知られないようにし、よくないことは公にはしなかったのです。
もちろん、この時代は教師が親からも子どもたちからも信頼されたり、尊敬されていたことは確かです。尊敬というよりも学校の先生を大事にしてくれる姿はたくさんありました。
時代はどんどん多様化し、今までの考え方では対応することが難しい学校現場になってきたと思います。
教師の不祥事がこんなにも多く報道されるようになったのは、ネット社会になってからです。
さらに、匿名で情報を流すことが簡単にできるような時代になったころから教師の不祥事もどんどん増えたように思います。
今の時代は、とにかく相手のある不祥事は隠すことはほぼ不可能です。どこかで誰かが通報したり、うわさを流したりして、すぐに明るみになるでしょう。
教師の不祥事は本当に多いのか
職業柄、教師はニュースに取り上げられるのでしょうが、犯罪という面から見ますと、職業別に次のような数字があります。
警察庁(罪種別犯行時の職業別検挙人員)より
- 農林漁業自営者 2123
- 販売店主 1170
- 飲食店主 2068
- 土木建築自営 3051
- 不動産自営 678
- 製造自営 466
- 医療関係 2031
- 芸能スポーツ 90
- 弁護士 28
- 議員知事課長以上の公務員127
- 会社等の役員 1757
- 事務員 5850
- 運輸従事者 3467
- 土木建築従事者 8695
- 勤め人 22810
- 販売店員 3954
- セールスマン 2164
- 美容師理容師 713
- 調理人など 1261
- 飲食店員 4711
- ホステスホスト 765
- 主婦 10262 主婦の犯行は意外に多い。
- 教員 563
これらは、主な職種を抜粋しました。この数字は検挙された数なので、起訴ではありません。しかし、警察から事情を尋ねられたり疑われたりしたことはその可能性があったということになります。
教師の犯行の多いものは、暴行や傷害です(それぞれ80件から100件程度)強制わいせつも30件程度あります。
この数字だけで教師の犯行の軽重や不祥事の原因を述べることはできませんが、教師の犯行は決して多いのではなく、むしろ少ないのです。
ちなみに、無職者ほど検挙数は多く、中高生は2万件をそれぞれ超えます。そのほかの無職も7万件を超えています。
教師も教師の誇りが希薄になってきた
あとから知らなかったでは済まされない状態になっているのも、学校という教師の集団が組織としても人としても、その団結力だとか和だとかが非常に薄くなっているのが要因でしょう。
教師も個人主義的な考えが多くなり、学校組織の中で自分の役割を発揮することが大事なのに、自分のことを優先する教師が多いように思います。
自分の学級だけよければいいのだとか、ほかの学級は面倒見れないなど、協力する雰囲気が欠けてきています。そんな学校が多くなっています。
教師も学校よりも家庭を自分を優先する人が多くなったと思います。
ですから、学校内でも互いに切磋琢磨することが少なくなりました。若い教師を先輩教師が教える場面もほとんどありません。もっとも、教師一人の仕事の量が多すぎて、そんなゆとりさえもなくなっていることは事実でしょう。
校長先生になると管理職として仕方がないことなのでしょうが、学校の評価を大事にしますが、教師たちに寄り添うようなかかわりが少なくなる人が多いようです。
その学校がいいかどうかはそこにいる教師の姿勢です。
学校は一つの組織ですが、そこの教師集団が温かく家庭的な雰囲気に包まれている学校は教師も仕事がしやすいです。
学校現場から非違行為の研修は行われていても、従来からある、教師の資質を問うことやどう生きるべきかなどの本来あるべき研修がほとんどなくなっています。
これらの研修は自主的に行われるもので、学校でも強制はしてはいませんが、その昔は教師のあるべき姿としてとても大事にされていました。
校長先生を先頭にみんなが、教師は常に学び、学び続けるものだということを日々実践していました。教師のプロたちがたくさんいました。
私が教師であった若いころ20年から30年ほど前までは、教師の心得として、3つの学びというものを教えられました。
教師は一日のうちに3つの学びがある。
- 子どもを教える場面において学ぶ姿勢を(授業で)
- 子どもに教えるための教材研究においての学び(子どもが帰った後に)
- 自分を高めるための学び(家に帰ってから自己研鑽)
このような考えを大事にしながら教師集団がともに学び成長することが当たり前のように行われていたのです。
教師が授業や研鑽を大事にしながら教育に当たっていた時代が、社会の変化とともに教師の業務が多くなり、研修などは後回しになっていきました。
家に帰っても学校の仕事をこなすばかりの毎日です。自己研鑽などほとんどできないくらいでしょう。
もちろん、教師の仕事を支える一つとして大事にされてきた「職員研修」というものも、どんどん削減されました。
これらは、教師に限ったことではないでしょう。
世の中の人々が何かに追われ、自分を見つめなおすことが少ないまま、生活している感じです。
自分のことをするのに精一杯で、相手に気が回らない。そんな感じです。
教師も同様です。ストレスを抱え、発散もできないまま、非常に不健康な精神状態で仕事をしているのが、今の実態でしょう。
しかし、ストレスが教師の不祥事に繋がっているかどうかはわかりません。ただ、教師の資質の研鑽は少ないです。そんな余裕はないですからね。教師の忙しさはブラック企業並みです。
教師は何度も研修を受けている
教師の世界では研修は非常に多く行われています。毎週、研修が入っていることもあります。
教師の仕事は授業だけではないので、多くの知識が必要です。ですから、そのスキル向上のため、教師の資質を向上させるために研修することが非常に多いのです。
少なくとも、世間一般の方々よりも、人権的な分野においての知識は豊富です。なんといっても、正しいことをすることで信用信頼を得ていかないといけない職業だからです。
公務員の不祥事に関しては、あってはならない行為を非違行為と呼んで注意喚起を促しています。
この非違行為は、やってはならないことすべてが該当します。
教師でも多くなっている非違行為は…
- 体罰
- 交通違反
- 飲酒運転(酒気帯びが多い)
- データ(個人情報など)の流出(紛失)
です。
これらに加え、
- 盗撮
- 不純異性交遊
があります。
これらの行為については、毎週の職員会議の中で校長よりその報告がされます。どんな事案が発生してのか、どんな処分が下されたのかなど、これらの報告は教職員への注意喚起です。
毎週のように非違行為の報告があり、不祥事の原因となることは何なのかを現職の教師がお互いにデスカッションしたりして研修を繰り返しています。
それにもかかわらず非違行為をやってしまう教師がどこかにいるのです。
こんな事例があります。
女性教諭ですが、同僚と飲み会があった翌日の朝、財布をどこかで落としてしまったことに気づき、交番に紛失届をするために出かけました。
それも、自分が運転して行ってしまったのです。
この当時は、飲酒運転の事案が非常に多く取り上げられており、飲酒した翌日の午前中までの運転を学校側としては管理指導することが続いていました。
この教師は、深夜まで飲まれたそうです。交番では、紛失届に来たこの教師の酒気帯びを感知して、その場で飲酒運転として捕まってしまったのです。
結局この教師に下された処分は、懲戒免職でした。
突然の結果に学校側も子どもたちや保護者も大変驚き、この後の対応がとても大変になったことは言うまでもありません。なんといっても次の日から教師が学校からいなくなってしまうことになるのですから。
代わりの教師はすぐになんかいません。欠員は学校運営全体に大きく影響します。
まとめ 不祥事に負けない教師の在り方
教師の不祥事が毎年ニュースになるほど、教師の資質が本当に問われています。教師も人ですから、いろいろな考えや生き方をしています。
これが教師かと目を疑いたくなる場面は今までも多く見ていますし、平気で非常識なことを言ったりやったりしている人は少なくないです。
不祥事の原因は教師の在り方よりもその人なりの生き方が原因でしょう。
「先生の常識、世間の非常識」なんてことを言われるから、気を付けて行動しなさいとよく言われたものです。
学校を卒業し社会に出たのに、また教師になって学校という狭い社会のまま。
社会のことをあまり知らない人も多いかもしれません。割とわがままな態度も珍しくないです。
風邪をひいて、授業の合間に診察に来た先生が「私、授業の合間にきて急いでるから早く診てもらえませんか?」って、平気で言うのですよ。
教師であろうが授業であろうがそれはあなたの勝手でしょって。教師であれば優先されるとでも思っているのでしょうか。
教師の不祥事が日々ニュースになるような現在では、教師としての自覚が少ない人が多くなったということは言えるでしょうが、不祥事を起こす人は、ほんのわずかです。
それはあくまでそんな人も中にはいるということです。
一生けん命に教師の道を邁進している立派な先生方はたくさんいます。
私は教師になったころ教師がどうも性に合わないと思っていました。間違ったことはしないし、きちんとしてまじめであるし、自分自身がそうなることが自分が変わってしまうようで嫌でした。先生であることを隠すこともありました。
しかし、子どもたちと生き、経験を重ねてくるに従い、子どもたちのすばらしさに感動し、自分の影響力の大きさに責任を感じていきました。
教師に誇りを持ち、教師であることを幸せに思うようになりました。
不祥事はどんな世界にもあります。明日は我が身と思うことは大事なことです。
しかし、不祥事の多いことは問題ですが、何事もプラスに考えていくことで道は明るくなります。これらの不祥事を心にとめてさらに教師の姿を磨いていきましょう。
それを見せるのは今です。そして、明日からです。
その輝く姿を保護者も児童生徒もしっかりと見てくれています。
教師の皆さん元気に頑張りましょう。
ニュースはその事件の真相まではわかりません。その教師がどんな人であったかもわかりません。犯罪は許せませんが、ほとんど多くの教師は日々子どもたちのために孤軍奮闘しています。
教員の不祥事は多い?なぜ起こる?その原因とは。のお話でした。最後までお読みいただきありがとうございました。
コメント
「昔は体罰はある程度容認されていたことは事実です。」これは、明らかに嘘です。
法文では体罰は明治時代から禁じられ、数十年前であっても教員採用試験で、この様な事を書けば決して合格はしなかったであろうことが事実です。
そして私も子供時代、教員による暴力を繰り返し受けました。彼らはその時こんな感じで言いました。「これは体罰ではない。愛の鞭だ。殴った手のほうがずっと痛い。」つまり違法行為だと知っていて、屁理屈をこね正当化し、校外に秘密にし続けたのです。
これは今も変わりません。昔と変わらず委員会は隠蔽工作機関です。教員という仕事は子どもを質にし、自らの犯罪行為を正当化する様な人格を育む、罪深き職業なのです。
秋の遺伝子様
コメントありがとうございます。昔も今も変わらないのは教育体制にも理由があると思います。でも、教育体制のせいにしても現状は何も解決しないでしょう。いまできることに自分から動くことが大事だと思っています。
こうして、コメントいただけることは本当にありがたいことです。
発信した内容を見返しながら、少しでも役に立てるように記事を書いてまいります。ご指摘ありがとうございました。