一年生は保育園児や幼稚園児ではない。
一年生は小学生なのですが、しばらく前から、一年生は小学生になった自覚もない子が多く、小学校なのに保育状態の子どもが非常に多くなりました。
保育園や幼稚園時代に小学生になれるような指導をしていただいているかと思いますが、家庭の指導もままならなくなっているようで、精神的に幼い子どもたちが多く入学してきます。
教師としては、この子たちをいかに小学生に育てていくかが仕事です。
小学校低学年でも幼さを認めつつも精神的に成長していくように、上を見て指導していかなくてはいけません。
子どもたちの実態を大事にして指導していくことは基本ですが、実態は実態としてそれをどんな姿に変えていくことができるかが、とても大事なのです。
子どもたちに何を教えるかは、教師の姿勢で決まってきます。教師の心がけがとても重要になります。小学校低学年も含めて学級経営において大事にしたい心が次の3つです。
- 子どもたちを次の学年で対応できるように育てる
- 低学年の指導が高学年になった時に生きる
- 小学校教師は中学生までを見通そう
これらのことは、当然といえば当然のことです。
では、以上3つについてくわしく解説していきます。
子どもたちを次の学年で対応できるように育てる
一年生は学校生活の始まりです。すぐに学校生活に慣れて、スムーズに行動できるようになるにはかなりの時間が必要です。
小学校低学年の指導として、子どもたちを一年かけて育てていきます。保育園の時間割は大まかです。しかし、学校は分刻みでものごとを進めていきます。
45分が過ぎたら、次のことが始まります。子どもたちは、集中力が続かないので、時間割に従って次々と内容が変わっていくことはある意味では、適当かもしれません。
でも、多くの子どもたちが同じように物事をこなせるわけではなく、一人ひとりの集中も様々で、さらに多くの子どもがいますので、非常に落ち着きのない雰囲気になることは頻繁にあります。
ここで、いかに子どもたちの行動を自分中心から全体を大事にして行動していけるようにできるかが教師の指導なのです。
学校生活の基本は、個人よりもみんななのです。これは、個人の権利を無視することではなく、みんなで生活していく中では個人よりも公を優先するという社会の基本と同じです。
一人が集まって集団を形成しています。一人一人の考え方や思いが同じならば、行動も一緒になります。みんなで行動する中で、そのみんなでということが、第一に優先されることを教えていくことが必要です。
低学年指導のポイントとしては
みんなでする活動を大事にさせる
小学校低学年の学級経営でも、自分よりもみんなを優先できる子どもたちに育てていきます。朝の会や帰りの会、授業でのみんなが聞く場面、先生が話す場面など、誰かがみんなに対して話をしたり、みんなで活動したりしている場面が多く、そんな中でも自分のしたいことは我慢して相手のやることを見たり、聞いたりできる。そんな子どもを目指します。
このようなみんなで何かをする場面で自分のしたいことをせずに待っていることができることが、相手を大事にするという行為になるのです。
これが学校生活では最も重視されるべきことなのです。
物事の良しあしをきちんと教える
学級経営していく行く中で、どんな学級にしたいのかを考えるときに、最も大事にしてほしいことは、学校で教えてもらったことが社会で生きていく力になるかどうかです。
学級だけで通用するような学校だけのルールやマナーではなく、社会一般に通用することを前提にして、ルールやマナーを教えるべきです。目の前の子どもたちがこれから生活していきながら、社会に出ていったときに学校で習ったことが土台となることが大事です。
そのためには、小学校低学年でも、社会で通用する生き方を教えていかなければ、学校だけで通用する生き方は意味はないのです。もちろん、学校生活は社会生活の縮図です。ですから、学校でできないことは社会でもできないということです。
学級経営において、だめなことはだめ。いいことはいい。これを教師があいまいにしてしまうと、子どもたちは判断があいまいになります。子どもたちのルールやマナーのもとは、担任の先生なのです。
低学年でも納得できるように教える
低学年なので、考え方も素直で自分中心的なのことは当然です。これを言葉や話だけで上記のような姿を目指してもほとんどできません。強い口調で指導しても、それはその態度に怖がって従うだけで物事の良しあしを育てていくことにはなりません。やはり、常に子どもたちの姿を評価して、子どもたちが納得していくことが必要です。
そのためには、低学年でも学級経営の要として、次のように子どもたちに指導していきます。
- 注意や叱責のあとに、必ずどうして注意されたのか、叱られたのかを聞き、勘違いや理解不十分であれば、丁寧に話して、わからないことやどうしたいのかなどをさらに聞き、誤解のないようにする。
- ルールや約束事を決めていくときには、必ず、みんなの前でその意味ややり方などを説明して、子どもたちの同意を得る。
- 教師が間違ったり、勘違いをしたりしたら、必ず関係している子どもたちにはきちんとミスを認め、謝る。(これが一番効果がある。教師も間違いはある、それを認め、謝罪する姿が物事を正しくみることにつながっていくと思う)
教師はひとりで何十人もの子どもたちを教えます。見落としもあります。でも、それがあっても毅然とした態度で堂々と弱みを見せることが、子どもたちに心を開かせるのです。心が開けば、いわゆる聞く態度が格段に上がります。
教師の姿勢が子どもの姿になる
子どもたちは、その年ごとに性格は少しずつ異なり、毎年同じように指導しても、いつも成果があるとは限らないのです。ですから、次の学年の土台となる基礎的な力やスキルを育てていくことは、そう簡単なことではないのです。
こんな簡単なことではない学級経営においては、何を目標とするかが、とても大切です。その子たちの実態をはっきりとらえながら、どんな学級にしていくかを教師は目標にしていきます。
どんな学級なのかとは、どんな子どもたちがいるかです。その子どもたちは教師の姿や指導の成果が正直に現れます。
簡単に言うと、教師のしたいことが子どもたちの姿に出るのです。子どもたちは、教師の指導の繰り返しの末に、その指導の表も裏もすべて出てくると思っていたほうがいいのです。
その影響がもっとも強く出るのが、小学校の低学年なのです。それは、心が素直であること、成長段階において自我が芽生えていないために反発することが少ないです。大人は、特に先生の言うことは何でも正しいと思っています(学級経営が子どもに迎合している場合はこうはなりません。また、親の考えが偏っている場合には教師の話を聞かない子もいます)ゆえに、この低学年の時代にどんな教師像を子どもたちに見せていくかはとても重要なことです。
低学年の時の指導が高学年で生きる
高学年になると、子どもたちの行動や考え方はすでに形ができてしまっていて、その考え方をもとにして、高学年の学校生活が進んでいきます。良くも悪くも集団として動きます。
そこで大事にしたいことが、
どんな集団になっているか
みんなを大事にしていく集団は、学習もよくできるのです。
担任の先生が変わったり、クラスが変わったりすることははじめのうちは新鮮で前向きな傾向は多く見られますが、もともとの姿はすぐに表れます。
子どもたちは、そう簡単に行動を変えたり、考えを変えたりすることはなかなかできることではないです。ゆえに、低学年のうちに育てられた習慣はいいことも悪いことも残りの3年間に土台となって表れてきます。
この3年間の習慣は、よい行動や考え方であれば、高学年での生活や学習に大いに良い方向に動きます。しかし、改善点が多ければ、この習慣を改善するには、3年間かかるといっていいでしょう。
大げさではなく、時間をかけて身についたものはそう簡単には消えません。素直な低学年の時期の習慣は後々に生かされるのです。
高学年になれば、素直さは消えゆくばかりで、教師が話せばよくなるというほど簡単ではないので、高学年の学級に課題が多いほど、指導は困難になっていくわけです。
学級経営の中でとりわけ、マナーとかモラルとかを取り上げて指導していくことは授業の時間だけでは当然無理な話であって、学級にいつも相手を大事にすることや自分勝手は良くないこととかが子どもたちの中にみなぎっていなければ、なかなかこういう道徳的な心情は育っていきません。
ゆえに、長い時間をかけて小学校の低学年のうちから学級経営の重要な部分として、どんな集団になっているかを大事に指導していかなければならないと思います。
指導を積み重ねて初めて形になる
学級がどんなことに価値をおいた集団であるかは、教師の指導の積み重ねです。低学年の指導がどんな状況であったのかによって高学年の資質は決まるのです。
もう一つ、小学校教師は、かならず、一年生から6年生までをなるべく早い時期に経験することです。このことによって、それぞれの学年のねらいが見えるようになり、6年生になった時に何が必要な力なのかをわかるようになります。
教師が教えているのです。子どもたちからは教師の言葉、存在がそのまま学級の雰囲気を作ります。どんな学級にしたいかは情熱だけではだめ、経験を積むことがとても大事です。
高学年は大変なんて声を聞きます。高学年は思春期で生徒指導面は大変なことは確かにあります。しかし、低学年で習慣化されたことはぶれないのです。悪い傾向もよい傾向もです。
心がけることは次の3つです。
- 低学年の時期は素直さがある。それを生かそう。
- 教師のやることがそのまま指導になる。どんな教師であるかを見つめなおそう。
- 子どもに教えるべきことは、相手の立場を考えられる人に。でもこれはとても大きな課題。これができれば、教育は成功です。
低学年の素直な時期に、みんなを大事にできるとか、自分勝手をしないとか、集団を優先することが必要なことを大事にして教えていってください。
中学校を見据えて指導しよう
中学校生活は、小学校とは全く別物と考えたほうがいいです。
中学校では、自分で判断して自分から動くことができる。そんな生徒を前提に考えたいところなのです。
自立した人になってほしいわけです。
小学校の時代から、中学校での生活や行動について折に触れて話し、小学校から中学校への橋渡しをしていきます。
6年生では、中学を見据えた指導が必要
卒業を目指すことは当然。しかし、その先にある中学で通用する子どもに育てておくことが6年生の担任の目標です。
特に大事なことは、適切な判断をし、自分から行動できる人になること、いわゆる自立です。流されることなく、自分で決めて行動する経験をさせていきましょう。
そのためには、子どもに任せていても無理です。教師のほうで子どもたちに自分で我慢して頑張る場を与えるようしていくことです。教師の指導は、こういう場を与えることも必要です。
その子に任せるのはいいことですが、本当に経験させたかったら、無理やりその場に置かせないと経験はできません。
子どもが大変だと思う場。大きな役目を与えるとか、代表の役目をやってもらうとか、班長を経験する、児童会の委員長をやる、クラブ長をやるなど、今までは経験していないことを経験させることは子どもの成長に影響します。
- 何もしないということは、何も問題が起こらず、つまりは成長に必要な試練がないということになります。
- 高学年児童にとって、試練を経験することは、それを乗り越えることになるわけで、精神的な成長が期待できます。
これらの試練は、かならずといっていいほど、自分だけでなく、周りを意識しないと果たせないことです。この経験を通して、自分と周りの関係を考えることができるようになっていくのです。自分がどんな影響を与えるかがわかるようになります。
自分だけではどうにもならないという経験が自立には必要です。
何とか回りと折り合いをつけて生きていく。ここに自分をどれだけ譲れるかということにもつながり、また、周りへの気配りも必要になるのです。
まとめ
小学校の低学年の指導が小学校生活を決めてしまうのです。ですから、間違った指導で低学年を終わりにしてしまうと、そのあとはとても大変です。学級崩壊につながります。勉強どころではなくなる場合もあるのです。だからこそ、低学年での指導が重要なのです。そのための大事にしてほしい注意点です。
- 子どもたちを次の学年で対応できるように育てる(上のレベルに引っ張る指導をしよう。子どもたちに合わせるだけではだめです)
- 低学年の指導が高学年になった時に生きるのです(低学年の三年間が小学校・中学校の土台です。集団を大事にする子ども、相手のことを気にできる子どもに育てよう)
- 小学校教師は中学生までを見通そう(低学年のプロになってはダメ。どの学年でも指導経験を積みましょう。低学年でつけておきたい力が見える)
低学年で最も大事にしてほしい指導の重点は、子どもたちが自分よりも相手のことを大事にしたり、みんなを優先したりすることができる子どもたちの集団に育てることです。
中学校のことを最後に話しましたが、高学年が順調に行ける学級は、ほとんどのところ、中学校への心配は少ないです。
小学校生活で、中学の素地ができているからです。低学年の指導が小学校生活を決めるのですが、もっと言うと、それがずっと中学までの素地となるのです。
- その素地は何か。自分よりも集団を大事にすること。
- 自分勝手はしないこと、公を優先することです。公を優先する学級は、相手の立場を考えられる人が育ちます。
これは、何か個を失うかのように聞こえるかもしれませんが、社会性とか思いやりとかが生きる上での基礎基本であり、これを学校生活で培うことができるのが、今の日本の教育です。しかし、それが少し揺らいできていることは心配ですが。
低学年の素直な子どもたちへの教育を大事にしていきましょう。
昨今は、家庭状況も学校生活に大きく影響し、教師一人の力で指導していくことには困難を極めています。
家庭との連携は言うまでもありませんが、低学年の時ほど子どもの実態把握は難しく、学校と家庭が互いに情報を共有して、理解しあいながら、よりよい指導を模索していかなければならないと思います。
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