教師の仕事は授業以外の業務が多過ぎる⁉今すぐ見直し・廃止・スリム化を

授業以外の仕事が多すぎる事が教師の質を落としている⁉

教師の仕事がブラック化し、教師のなり手が少なくなっています。けれど、現職の先生方はその激務の中でも教師の仕事にやりがいを持ち、子どもたちと共に頑張っています。

教師の仕事は授業がすべてですが、学校を運営していくためには多くのやらなければならない業務があります。昔も確かに夜遅くまで学校で仕事をしないと終わらない日々でしたが、近年はその多忙の中身が違います。

教師の仕事は学校自体が大変になっているのではなく、外部からの要望や要請が多すぎることが要因です。カリキュラムも新たなものが入ってきますが、授業以外の余計な仕事を見直し、廃止し、スリム化をすることは可能です。

今回は、教師の授業以外の仕事?についてまとめました。教師の仕事がブラック化している理由を紹介します。

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教師の仕事は授業以外のことが山盛り

教師の仕事は授業が毎日、大体8時30分ごろから朝の活動が開始されるので、いわゆる教科の授業以外でも指導時間です。学校現場のことはよく知られていないために、保護者や外部の方々は教師は子ども相手で子どもがいない時間は何もしていないと思っている人多いようですが、とんでもないことです。

ちょっと話はズレますが、私が現職で若かったころは、子どもたちと休み時間や朝の時間に遊んでやっていました。遊ぶのも子どものことを知る児童理解の時間ですし、遊んでくれる教師は子どもたちは心を寄せてきます。そんな時間がなんとかとることはできましたが、今の時代は、休憩時間もないくらいにいろいろな処理仕事があり、教師も子どもたちと触れ合う時間が持てていないのが現状です。

授業以外の時間にどんな仕事があるのか

小学校の場合学級担任ですから、学級の健康安全や生徒指導、行事の調整、学年学級費の管理、学級PTAの計画実施など、自分の学級に関する事項はすべて一人で処理することになります。

もちろん、学年に共通することは学年内の教師で分担しますが、自学級のことと学年の分担もあるので、場合によっては大変な仕事量です。

どんな内容かというと、

  • 家庭学習のチェックと丸付け
  • 生活記録(日記)の返事を書く
  • 学級の出席を確認し、その健康状況を朝のうちに保健室に報告する
  • 朝の会の運営…これはもう授業と同じ、朝の短い時間に今日の予定や注意事項など、場合によっては子どもたちの生活状況などから生徒指導面の話をすることも多い。
  • 子どもたちの休み時間が授業時間ごとにあるが、授業の準備や印刷物の印刷などを行う
  • 午前中の子どもたちの休み時間(15分から20分)には、少し休憩をとることもできるが、外部からの電話連絡や子どもの指導などに当てられることが多い。または、宿題のチェックができなかった場合はこの時間もそれに当てることなる。
  • 給食の時間と同時に、教師も子供と一緒に給食の運搬と配膳の指導を行う。給食の異物混入の事件があってから、運搬も配膳も子どもと一緒に行動し、監視するような場面もある。返却についてもすべて教師が同行し、返却の確認をする。
  • 給食の20分から30分の時間は、いろいろな返却物がある場合はそのチェックや返事に時間が必要なので、給食時間は5分ぐらいで済まし、子どもたちが食べている時間に教師は日記の返事を書くことは多い。
  • 給食後に子どもたちは休み時間となり、清掃活動の前の息抜きの時間となるが、教師は午後の授業の準備であったり、子どもの生徒指導や健康支援など、子どものトラブルなどあれば、それにかかわるので、子ども優先で行動する。また、児童会などの担当者はこうした休み時間しか子どもたちへの指導ができないので、当然のことながら、児童会の委員長たちへの指導や調整を行っている。

学校は授業の運営以外にも、行事の準備や児童会クラブなどの運営など多くの活動がありますが、それぞれの先生方が自分の役割を責任をもって果たしているので、スムーズに学校運営ができているということです。

自分の学級の授業だけなら、一人でなんとかなりますが、学校全体にかかわることは校務という仕事をみんなで役割分担しているので、学校が動くのです。この校務分掌という仕事は非常に重要で、これをだれが担当するかということは学校運営に大きくかかわっています。

つまり、教師は最も重要な仕事の学級経営(授業も)をしながら、授業以外にも学校運営の仕事もしているのです。

この学校運営の校務分掌(こうむぶんしょう、いわゆる学校運営するための役割分担で学年主任などもその一つ、教科の係や掃除や給食の係、行事関係、PTA関係、授業研究等様々な担当がある)は学校の規模が変わってもほぼ同じ業務が行われます。規模によってその程度は少しずつ異なりますが、重要な校務というものは経験のあるベテランの先生が担当することが多くなります。

どうしても経験者に負担が集まりやすいので、全体のバランスを考えながら校務の分担をするわけです。それぞれの教師の力量は異なりますから、学校全体としてみんなで協力し合って学校運営をするのですが、この状態でも家庭の対応や子どもの個別対応があるわけですから、先生方一人一人の時間や仕事の余裕なんてものは本来ないのです。

 

この分担(校務分掌)をも日常的に担当しながら、それも、授業の合間や放課後にこの仕事をしています。時期的な運営もあるので、その時期までは何もないということもありますが、計画書の作成や会議の検討、実施後の反省など、準備から実行そして振り返りと、実施する前と後にも多くの時間が必要です。

放課後の時間は子どもがいないので教師はどうなるかというと、この子どもが帰った後は、休憩時間などは一切なく、校務の係会や授業研究のための研究会、研修会、学年会、外部団体などとの会議などが通常業務としてあります。これはこれで普通のことです。

何も予定がない日でも、やり残してある学級事務やレポートの作成や報告書の提出などに当てられ、仕事が終わるということはないですね。

強いて言えば、その日の仕事をどこまででいったん打ち切るかということで、続きは次の日も続きます。自分時間がとれない教師も多く、授業以外の時間外の業務は毎日あるのです。

その日にテストを実施したとすれば、当然採点しておいて、翌日に返却しないといけない。テストの採点も高学年の場合は問題数も多く、確認作業も多いので、一枚でも30分はかかってしまう。そのあとに成績を入力するなどの作業もあるので、二つテストしたなら、一時間は必要です。

これがほぼ平均的な小学校の教師の仕事実態です。これはこれで大変なことなのですが、ここに余計なことがどんどん入ってきているのです。

そうした時間を取れなくしているどうでもいい仕事がある

県や教委からのアンケートの依頼や教育会のレポート提出などである。こうした内容のほとんどは授業改善や指導の工夫などの教師としても大事な部分にかかわることはわかっているが、実際にそれが自分の学級に生かされる前に一年間は終わっている。

たとえば、介護状態の家庭がどの程度あって、子どもたちはそれにどのくらいの時間を費やしているのかという調査結果が先ごろ発表されていたが、それらのアンケート調査は、全国の学校で実施されたものだろう。そのアンケート調査も各学級で担任が配布や回収をするわけで、回収したものもそのまま送るのではなく、ほぼ間違いなく集計して集計結果を送るのだ。これにかかる時間は子ども30人いたら、一枚一枚確認しながら、集計するわけである。こうした作業もすべて無償である。ただでやっているのだ。

やっていることは間違いではないし、よいことだとわかるが、わずかなこうした大した量や内容でないお願い的なものが、次から次と重なり授業以外の教師の貴重な時間を削ってしまっている。

この削減や改善がなかなか行われないのが不思議である。

特に、学年主任などは、学級のことよりも学年全体の運営にかかわるので、自分の学級のことがなかなか手が回らないという状態は珍しくありません。

まあ、学年主任は経験も豊富ですから、そのあたりのことを心得ているので、学級経営も問題なくこなせているということは言えるでしょう。

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安全安心を求めすぎる

子どもたちがけがや病気にならないような環境を整えることは当たり前のことであるが、危険を察知できる能力とか判断力も必要ないような世界では感覚がマヒすると私は思う。

経験させないとわからないことまでやらせないという指導?はもはや教育とは言えないと思う。責任をきちんと持てない管理職や教委のために何でも「事なかれ主義」になってしまった。

子どもたちに学ぶ機会を与えない過保護な環境は教師の考えない姿勢をつくってしまうと思うのだがどうだろう。

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教師の仕事は授業がすべて

教師の仕事は授業で子どもたちに力をつけること。勉強するのが学校。勉強にきているということを忘れてはいけない。楽しい学校というのはとてもいいことであるが、学校というところは我慢して勉強し、知識や経験を積み重ねる場だと思う。もちろん、いろいろな子どもたちがいるからこそ、それが学びになるのであって、とにかく大変な環境なのだから、授業以外の仕事は当然あるが、授業以外の仕事は余計な仕事は入れてはいけない。ただでさえ一人で何でもやらなければならない教師の一日が子どもの指導や支援に全集中できるような学校にならないと子どもたちのための学校にはならない。

学校が多忙化する原因

国や県など上からのご指導が多すぎる。これらのご指導はすべての学校に通知され、校長先生の指導の下に何らかの形で具体化されるわけであるが、学校によってはすでに関係ない内容もある、しかし、何らかの実行をしないといけないから、無理やり何か研修をしたり、調査をしたりと、これが本当に無駄なのだ。

上は言うだけでやるのは先生方。何もかもが一般の先生方。また一つもう一つと明日の子どもへの指導にならない授業以外の余計な用事が増えていく。

教育会は変わらないといけない

教育県の長野では、教育会の影響は非常に大きい。かつてはこの教育会が学校を取り仕切るほどの団体で、教科研究や研修などを強力に推進していた。今でも各学校ごとに専門委員が教育会の指導の下に研究や調査を実施している。学校の業務以外の仕事であるが、各校の研究などの計画を作成したり、研究実践をしたりして、そうやって教師がお互いに研修を進めることは非常に有効なことであるが、今は昔とは状況が違うので自分の学級の指導や校務をこなすだけで精いっぱい。いいことはいいということはわかるが、よいことでも捨てる勇気が必要だ。

この教育会のトップは、間違いなく地域に貢献された校長先生(OB)方がその運営を行っている。ゆえに、各学校の校長先生も従わざるとえない。これを改善できるトップになってほしいと思う。

地域・保護者

授業以外の教師の仕事で重要なことが保護者対応になっている。

近年は指導が難しい子どもや学習障害を持つ子どもが多くなり、その子たちの支援とともに、家庭との細かな連絡や情報交換は欠かせない。学校側としてもスクールカウンセラーなどの支援も受けながら手立てを講じているが、その打ち合わせや懇談などは頻繁に行われることが多く、時間的にも多くの時間を必要とするので、教師の業務を圧迫している。

さらに、苦情を訴える保護者の中でも、いわゆるモンスターペアレント的な保護者は学級に1~2人はおり、そうした家庭との対応は非常に神経を使い、その対応だけですべての仕事がストップしてしまうぐらいの影響がある。学校と保護者の間を取り持つ教育委員会も対応に苦慮することが多く、担任教師としては精神的に疲れ、日々の業務にも支障をきたしていることは間違いない。

公務員は増やすべきもの

教師の仕事が多岐に渡り、児童生徒の個別指導や家庭対応の時間が多くなっている。担任教師としては、自分の学級の授業や指導に専念したいところであるが、一人の業務量が限界を超えていると言っていい。そもそも、公務員の仕事は公共サービスなのであるから、より良いサービスを提供することがすべての市民への奉仕の中身だと思う。

それがままならないのは、マンパワーが足りていないということだ。公務員を削減することは税金の無駄ではなく、より良い公共サービスの充実になる。どれだけ情報化技術が進んでいても、コンピュータの力だけでは、人は救えない。

人が人を救うのであるから、その手そ差し伸べてくれる数は多いほどいい。

学校には支援員などを多く入れているが、いろいろな制約があり、限られた人しかかかわることができない。教師の数をどんどん増やせれば問題ないが、それはお金の問題なので、国が大きな舵を切ってくれない限り理想的な体制は整わない。一人や二人増えただけでは学校現場は救えないのである。

教職員の数を増やすことは公務員を増やすことだが、学級を常に複数担任で指導するだけでも大きな改善になる。35人学級にしてもまだまだ状況は変わらない。教師の数や支援員の数を増やすこととそれに伴う労働に見合った給与の見直しも重要である。勘違いしてはならないのは、教師の数が増えると予算が必要とか、税金をそれに使われるとかいうが、子どもを育てるために使われるということを忘れてはいけない。教師の仕事が楽になるということではない、より良い授業や指導支援が可能になるということなのだ。

まとめ いい仕事してますねと言わるために

私の住んでいる市内に、人気の内科医院があった。

スタッフも多く、医院の環境もよく、多くの患者さんが毎日訪れていた。毎日100人ぐらいは診察されていたようだ。午後の6時が閉院時間なのだが、間際に飛び込んでくる患者さんも多く、結局夜の8時頃に診察終了という日が毎日のようにあったという。

院長先生も非常に親切で地域からの信頼は厚かった。しかし、スタッフは多忙すぎる日々に疲れて板だろうし、院長自身も大変な日々だったろうと思う。閉院時間を徹底し始め、少しずつ時間を調整し、やっと時間通りに診察を終える時間内診療が元に戻った。

その時の患者様へのコメントが貼りだされていた。

  • 明日も質のよい診察・診療を行うために6時以降の診療は行いません。よろしくお願いします

たしか、どこかの町工場でも同じようなことを聞いたことがある。

延々と作業が続く製造の場であるが、人の手でつくる以上ミスもあるわけで、気持ちや体力が健全でないと集中できないのは当然のこと。やはり、作り出す側が元気でないといいものはできないということですね。

教育は幸せを届けらなければ意味がないでしょう。幸せを願う教師が苦しみながら仕事をするなんてそんな自己犠牲の中で幸せは届けられない、ただの自己満足にしかならない。教師が健全な状態で子どもたちにかかわれるようにすることがいい指導を生み、その積み重ねがいい教育になるのだとも思います。

教師の仕事は授業以外の業務が多過ぎる⁉今すぐ見直し・廃止・スリム化をのお話でした。最後までお読みいただきありがとうございます。

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