長瀬のあいさつは称賛!KokiのCMは炎上⁉決め手は思いやりがあるかないか

31日をもってジャニーズ事務所を退所するTOKIOの長瀬智也(42)が30日、東京都港区の同事務所を訪れ、関係者や社員に“別れのあいさつ”を行った。 スーツ姿で事務所に入った長瀬は、長年にわたってTOKIOのマネジメントを手掛けた藤島ジュリー景子社長らと面会。各フロアを回って、多くのスタッフにあいさつした。26日に最終回を迎えたTBSドラマ「俺の家の話」で演じたプロレスラー役のため10キロ以上増量していた体形も、この日はすっかり元通り。ジャニーズをよく知る関係者は「スーツがよく似合っていて、芸能界を離れるのならもったいないとの声がスタッフからは漏れていた。1991年の入所から30年にわたる感謝の思いをしっかりと述べて、素晴らしいあいさつだったそうです」と明かした。
引用:スポニチアネックス

 俳優の木村拓哉と歌手の工藤静香の次女でモデルのKoki,が思わぬ形で炎上に巻き込まれている。   Koki,はイタリアの人気ブランド、ヴァレンティノの「ヴァレンティノ DI.VA キャンペーン」の顔としてブランドコンセプトの動画に出演。公式サイトなどウェブ上で公開された。  しかし、レッドカーペットのように着物の帯の上をハイヒールを履いて歩いたり、畳の部屋で靴を履いて立ったり…という映像に「日本文化を冒とくしている」「ヴァレンティノの衣装を敷いて座られたり踏まれたりしたらどう思う?」などと29日夜から批判の投稿が殺到。この騒ぎに公式サイトは動画を削除する事態となったが、現在もネット上では動画が拡散している。  Koki,は演出通りにした過ぎないのだが、彼女への心ない批判も散見され、思わぬ形で炎上に巻き込まれてしまった。
引用:東スポ

長瀬に関するニュースは称賛されたもので、Kokiに関するニュースは批判の的になっていますね。

どちらのニュースもメディアが取り上げなければ、我々が知る由もなかったのですが、Twitterではお褒めの言葉もあれば、強烈な罵声にも似た批判の声もありますね。

芸能人は私たちから羨望のまなざしで見られていますが、何かあるとこき下ろされる恐ろしさを感じているかもしれませんね。

関係者が発信すればそれはまた別ですが、メディアにはこのようなニュースを発信したところで特に責任はないように感じますね。あくまでニュースなので意見や感想は述べないのは何の問題もないでしょう。

ただ、何を伝えたいのかニュースは発信する側にもその意図があるものですが、どうもその意図がよくわからないニュースが多いように感じます。

まあ、大手のメディアはどうでもいいニュースは扱わないと思いますが、弱小なメディアにしてみれば視聴者の目に留まるためにはどんなニュースでもどんどん挙げてくるのでしょうね。

視聴者が単なる興味本位で注目されるようなものがどんどん発信されいて、それで見てくれれば利益が上がるのですから、チャンスは逃せませんね。

当然、商業目的なのですから、それはそれで上手にやっているということでしょう。知らなくてもいいことまでが発信されるのですから、とにかく何でもありという何でも許されるような感覚を私たちは持ち始めていると思うのです。

長瀬の挨拶、kokiのCM作成にみる忘れてかけている思いやりの精神

今回のこのニュースについては、当事者の道徳観が問題ですね。

長瀬については、あいさつという態度や姿勢から相手を意識した自分一人ではない、周りあっての自分であるということを感じさせる行動だと思います。

長瀬さんの人柄もあるのでしょうが、よいことも悪いこともきちんと対応することが大人の対応ですね。著名人の中には、いい時だけいいこと言って、都合が悪くなると何も言わなくなるようでは何が理由であろうともやっていることは子どもと同じです。つい私は、そう思ってしまいます。

芸能界という厳しい競争の世界においては、利権や力関係が大いに影響する中で、やっぱり人が物事を動かしている以上、人とのつながりを忘れてはいけないのだという一例に見えました。

 

さて一方、KokiさんのCMについては、CMの製作者に道徳観が欠如していたということだと思いますね。いくらイタリアの有名ブランドとは言え、それを見る人たちへの配慮というものがなかったということなのでしょう。人の心を傷つけてしまう行為のほとんどが想像力が欠けていたということでしょう。

誰に向けてのものであろうとも、メディアによって拡散されることに注意をしないと、それはただの独りよがりのわがままな行動というものになってしまうということでしょうね。

表現の自由を勘違いしているのかな?

表現の自由というけれど、自由ということはわがままであることに気づいていない人が多いと思います。

もちろん、自由の定義はいろいろ論議されているでしょうが、わがままな態度では社会には通用しないということはもう明白の理由でしょう。

少なくとも、自由を大事にしたければ、それに伴う責任も同時に果たさなければなりません。

そもそも迷惑をかけるような生き方をしているのは、人だけなのですから、人が生きていくには相手を思いやることがどうしても必要なことだと思います。

電波法の厳しさとSNSの危うさ

さらに、電波法の考えから見て、公共に流される電波のラジオやテレビはその法律上、間違いはすぐに訂正することが決まりですね。よく、アナウンサーが読み間違いや字幕の訂正をその場でしていますよね。公の電波ですから、間違った放送はしないということが大前提になっていますね。

しかしながら、最近のSNSの普及は大きなメリットになりましたが、無責任な言動があふれているのは事実です。本当にTwitterなんていいこともよくないことも言いたい放題のように感じますが、あなたはどう思いますか。今は,SNSで簡単に発信して広く伝わることが可能ですが、特に罰せれるような法律もありませんし、そもそも匿名が多い上に、誰がどこから発信しているかをつかみにくいものですね。

匿名性というものは大いにマイナスな行動を生みやすいと思います。

個人が尊重されることはよいことですが、公よりも個人を尊重というのは何か誤解を生んでいるように思います。何かそのあたりが問題のように思います。個人の主張はどんな場面で尊重され、公の優先順位はどうなっているのでしょうか。SNSの言いたい放題も表現の自由も何か大事にしないといけないことがあるはずです。

どんな世界にいても大事にしたい相手意識

今回のCM製作者の感性に問題があったと言わざるを得ません。SNSの無責任さもその人の感性の問題だと私は思っています。

どんな世界にいようとも、私たちは人間社会で生かされています。その人間社会で生きていくには、人と人がお互いを感じあうことがどうしても必要だと思います。

子どもたちに大人になっていく過程で一番教えていくことは、相手の立場に立って考えることができるかどうかということではないでしょうか。

いろいろなよいことやよくないこと、様々な失敗や成功を繰り返しながら、人を思う感性を身につけていくことが大人になるために必要なことです。

大人になっても常に人を思い、社会の中で生きる知恵や態度を養うことを今のこの世の中に生きる人の生き方として大事にしたいと思います。

まとめ

いろいろな実情があるのは理解できますが、何でもありということは本当に何でもありではないということを大事に考えていきたいです。

才能があってもなくても、周りに発信するのであれば、それを見る人に、聞く人に対しての責任をもたないといけませんし、それが出来なければ、発信してはいけません。そう思います。

責任が持てないことならば、自分一人でまたは、限られた人たちだけで共有して満足していればいいのです。

人に知らせるという行為は大いなる責任を持つことをあらためて反省していきたいと思いました。

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