朝の会や帰りの会、道徳の時間や生活指導など先生が話さないといけない場面は、いくらでもあります。先生が子どもたちに話すことは心に届いてほしいと思って話します。
でも、響かなければ話さなかったことと同じようにとらえてしまうものですが、先生の存在と言葉は、その時はわからなくても、いつか届く時が来ます。「そういえば、先生あんなこと言ってたなあって」。だから、その話の内容に、教師が思いを込めて話すことが本当に大事なんです。
今回のテーマは、
【盥に一滴の水】(たらいにいってきのみず)
です。たらいというのは、最近ではほとんど見かけなくなりましたが、平たい大きなバケツのようなものです。大きなものもあり、夏などにはそこに水を入れ、人がはいって行水をすることもありました。
盥(たらい)に水一滴たらしても、見た目に何の変化もありません。しかし、一滴分の水は確実に増えます。たとえ、増えたことを確認できなくても、私は努力することにしています。という教えでしょうか。
塵も積もれば山となるということわざと同様の意味ですね。
日々頑張っているスポーツの練習とかお稽古事などの場面の取り組みは、まさにこの言葉の通りだと思いませんか。
今日練習したことで大きな成果は見ることはできないと思います。同じ失敗を何度も繰り返して何度も挑戦してできるまで頑張る。でも、また次の日になってもそんなに成果は実感できない。そんなことを日々頑張るのが、練習ではないでしょうか。
同じことを何十回、何百回、何千回とひたすら練習して、ようやく手ごたえがあるのかもしれません。そんな気の遠くなるような取り組みは本当に大変なことです。やる気がなくなるのは当然です。
これをやっていて効果あるのだろうか。これを続けることで本当に力がつくのだろうか。人間は成果を求めたがります。やってすぐできればうれしいですよ。できたあ、わかったあ、って子どもはそれがないと、続けることはできなくなります。
でも、やる気というものはどうでもよくて、とにかく続けることで大きな成果になるよ。ということなんだと思います。
日々の生活で毎日やる気に満ちているなんて、よくよく考えると不自然です。いろいろな思いや感情、天気や体調などなどが影響し、毎日同じようでも違いますよね。
ですから、そんな日々の中でもとにかく練習するとか仕事するとか、勉強するとかそうしたささやかな行動を続けること自体が努力になるのではないかと思います。
今日一日の自分の働きというものを振り返るならば、何の意味があるのだろうと思うくらい、ちっぽけなものなんです。きっと。
でもそれを続けることが生きるということではないかと思っています。
朝の会ネタ小学校中学校先生の話【盥(たらい)に一滴の水】のお話でした。最後までお読みいただきありがとうございました。
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