習字のような「とめ、はね、はらい」ができていないと、漢字ドリルは全てやり直し。テストは0点―。小学1年の担任のこうした指導に対し、保護者から「厳しすぎる」という悩みが届いた。わが子の就学を前に、どこまで丁寧に字を書かせるべきか思案している保護者は多いはず。西日本新聞「あなたの特命取材班」がウェブサイトで意見を募ったところ、保護者や教育現場からさまざまな声が届いた。字体の指導は、どこまで厳格であるべきか。
引用:西日本新聞
こんなことは全然珍しいことではないです。
保護者から「うちの先生すごく厳しいよ~」とか「宿題の量が半端じゃない」逆に、「もっと先生宿題出してくれませんか。簡単すぎてすぐに終わって勉強しませんよ」なんて、同じ指導しても反応はそれぞれなのです。
まあ、指導する側から見ても、学校の先生としては、とめやはらいなどの字体はきちんと教えたいところですね。
子どもたちの実態としては、はねなくていいところとはねたり、はねるところを逆にはねていない、というミスはよく見られます。まあそのくらいいいでしょうという思いは確かにありますね。
テレビなどのクイズ番組でも書けていればいいのが大人の世界かなと見ています。大人は一応わかっているということで、許されていると思っています。
しかし、子どもたちにあいまいさを与えるような指導は正しい漢字指導にはなりません。
やはり、正しく教えることが必要で、漢字テストであればはねや止めはチェックされるべきです。0点とはならないとしても、正解ではありません。減点するほうが子どものためです。
子どものためなんて言うセリフはなんだか傲慢に聞こえると思いますが、教師の仕事は即効性を求めません。求めてもほぼ無理です。
あとになって教えが生きてくる方がありがたさがあるというものです。もちろん、すぐに結果が出ることはいいことですが、教師が指導の心得として大事にしたいのは、一年後の子どもの姿であり、積み重ねたことの成果が表れるような指導が大事にされるべきだと思っています。
保護者から見れば、えーそんなに厳しくしなくても大人になっても全然困らないし。という感想もありでしょう。確かにそうですね。
字をきれいに書くことはいいことですが、字をきれいに書くことと字が書けることは別物ですね。この辺の捉えは本当に線引きが難しいと思います。
私の知っている保護者の中には、先生よりも厳しく子どもの宿題をチェックする方もいます。練習した字がちょっとでも違うならば全部消して最初から書き直させるなんてこともありました。また、こども自ら字体がきちんとかけるように一字一字丁寧に練習しているということもありました。この子は本当に時間がかかってしまうのですが、そうしないと気が済まないということでした。
それぞれに字体を大事にしている例の一つですが、気が済まないということが割と関係しているように思いますね。学校のこだわりの指導なんか考え方の問題です。理屈もありますが、その指導する人思いが表れているということが多いように思います。
学校の先生が良しとして指導していることについてなんか変と思ったら先生に相談してみるべきです。
学校の先生も完全ではありませんし、人間ですからそれぞれに考えがあって行動しています。教師として何をどう教えるのかを勉強してきていますが、経験も違うでしょうし、考え方も全員が同じとわけではないです。
会社人間だってそうではないかと。違う人が集まってそれぞれの力を生かしているところです。
学校の先生は一人で何でもできるわけではありません。保護者の皆様の協力得ているから、学校教育を進めることができます。保護者の方々も学校の先生の教えをはじめから承知しているわけではありませんし、半信半疑の中で理解をしていかれていると思っています。
ですから、あれっと思ったことは聞いてみるべきです。
先生に変なふうに思われたら損なんて思うでしょう。嫌な親だと思われることが先に立って何も言えなくなってしまうなんてこともあるでしょう。
もっと簡単に考えればいいと思います。深刻に考えすぎなんだと思います。
本気になって考えるのはいいですが、深刻になる内容ではないと思います。
これがニュースになるなんてこと自体が本当はやりすぎな感じもありますが。
ちょっと話がズレましたが、とにかく大事なことは次のように思います。
- 物事はやりすぎはいけない(飲みすぎ食べ過ぎ遊びすぎ仕事のし過ぎ…などいいことにはならない)
- 深刻なことにしているのは自分自身、もっと軽く考えよう(話せばわかることはたくさんあるから、先生に相談すればいいのだ)
- 字体の間違いは正すべき、国語の時間や国語のテストなら当然のこと(小学校で甘くしないほうがよい)
- 字体は字体の問題なので漢字が書けるかどうかというテストでは0点にはならない。減点すればよい。書けない場合や明らかに違う場合との差別はつけるべき。これは正しくはないということは教えるべき。それは教師の役目。
教師の在り方がいろいろなところで取り上げられますが、変わっていかないといけない部分とずっと大事にされる部分はあると思います。
それは教師は教えるべきことはきちんと教えるということではないかと思います。
そんなきれいごと言うなとか最近の教師は資質からしておかしい人も多いじゃないかという声も聞こえてきそうですが、教師がきれいごとを言わなくなったら教師ではない?なんて思います。
ということで、教師も親もそれぞれに歩み寄れるような関係作りが大事ですし、そういうことができるようにお互いに発信しあうことも必要だと思っています。
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