
石原さとみさんが学会員であることが何か困ったことでしょうか。名誉とか地位を大事にする人が特に偏見を持っているらしい。
石原さとみの夫が創価学会に入会していたとか。
創価学会というとなんか胡散臭い宗教で日本人はとかくこうした宗教めいたものにいい印象を持っていない人が多いと思います。
なんででしょうね?
あのサリン事件の麻原彰晃が作ったオウム真理教が新興宗教のイメージをさらに低下させてしまったことは確かなことだと思います。
私もどちらかというと、新興宗教に入ろうとも思いませんし、誘われても確実に断ります。
自宅訪問してくる方もいますね。
エホバの証人、真光教団などが多いかな。日曜日でも一軒一軒声をかけて訪問しているようですが、人の好さそうは方ばかり。
そんな人のよさそうな感じでも、宗教名がわかるとその場でシャットアウトという感じでしょう。
石原さとみさんも学会員ということですが、偏見な目で見る人はいるのでしょう。だから、こんなことが記事になるのです。
メディアもだれがどんなことを信条にしていようがどうでもいいことですが、あえて取り上げるのは、メディアも創価学会を特別視しているということだと私は思ってしまいます。
女優の石原さとみ(33)が、1歳年下のお相手との電撃結婚を発表したのは今年10月のこと。お相手の「素顔」もさることながら、その「信仰」にも注目があつまった。なにせ石原は、創価学会本部職員を父にもつ、現役バリバリの創価学会信者。だが、どうやら夫君は、信者では“なかった”ようだ。
石原を射止めた新郎は、米投資銀行ゴールドマン・サックスに勤めるエリートサラリーマン。彼の同僚から聞いた話として、証券業界関係者はこんなエピソードを披露する。
「ある時、“オレ、創価学会に入ったんだよね”と打ち明けてきたというんです。どうやら幼少期から10代のほとんどを海外で過ごしたこともあってか、学会へのアレルギーめいたものは全然ないみたいです」
そもそも、創価学会の悪いイメージだけが伝えられているだけで、学会員の中にもいろいろな人がいるでしょう。
私自身も今まで仕事上のお付き合いでいろいろな宗教の信者とのかかわりはありました。
真光教や天理教など実際にどうしても一度体験してみてと言われて、義理で体験したこともあります。始めから入会する気は全くありませんでした。いろいろと勧めてきますが、こちらがその気がなければしつこく入会を勧めてくることはありません。
それは、その方の性格や立場があってのことでしょうから、誰もが同じようにふるまっているわけではないでしょう。
創価学会だって信者の方はそれなりに恩恵を受けているでしょうし、人生が好転している人だっているわけです。
新興宗教が常識的におかしいとみられるときに、世間はそれを非難しますが、そうでなければただの考え同じくする同志ということでしょう。
何かのクラブも同じではないでしょうか。
少なくとも、日本人は信心する傾向が少ないですね。外国人は例えば、欧米の人はキリスト教であり、中東の人はイスラム教を信仰していますね。
日本人は仏教かと思いきや、お葬式で仏教の教えに沿っていることが多いだけで、仏教信者ということではないのです。もちろん、ちゃんと信者として信仰している人は多くいらっしゃいますが、日本人が仏教徒ではないのです。
その点、外国の人はちゃんと信仰心を持っていますね。
オーマイガット(ああ神様!)と神を大事にしているからこそ出る言葉です。
スポーツ選手が試合の前などに、胸の前で十字を切るでしょう。あれも信仰しているからこそです。
その点、日本人は信仰心がほとんどないと言っていいでしょう。家に仏さまがあっても毎日手を合わせて仏さまに感謝したりすることありますか。
日本でも九州地方にはキリスト教が古くから布教されたので、キリストの信者がたくさんおられます。
子どもたちも教会で牧師様から教えを受けます。困ったときには神様に会いに行きます。いいことも神様に報告します。
そういう習慣の中で生活をしているのが、信仰心でしょう。
新興宗教の中身はよくわかりませんが、創価学会の信者になっている私の教え子がいます。
困っている人を本当に心配したり決して自分を優先することなく、相手のことを思いやることのできる子でした。大人になってからも連絡したり、教え子たちに呼ばれて会食したりしてきましたが、その子が創価学会員だったことを知ったのは、そんなときです。
自分の家がすでに学会員だったので、小さな頃から教えは受けてきたのかもしれませんが、少なくとも私の周りの人間の中でも、純粋な心持った立派な大人の一人です。
確かに、選挙の時になると、公明党の支持をお願いしてきますが、それはそれです。
その子は女性ですが、婚約した相手は入会してくれたそうです。
少なくとも、偏見など持っていないのです。
誰が何を信じようとそれは自由です。
好きな趣味に没頭している人だって、それは自由なことですから、咎めることは何もありません。
信心が誰かに迷惑をかけるのは、オウム真理教のような間違った考えの場合だけではないかと思います。
日本中に様々な信仰がありますね。迷惑もかけずによいと思うことを広めようと布教したのは、キリスト教も仏教も同じ道を歩んできています。
布教したいのはそれをみんなで分かち合いたいという願いがあるからであって、お金を集めるとか利益のために活動しているような団体はややもするといかがわしいものに見られやすいのです。
仏教の檀家だってお金を集めて活動しているわけです。坊主はそれでいい思いをしていると言っても過言ではないでしょう。
新興宗教への偏見は変な噂や思い違いが結構あると思います。
石原さとみさんが創価学会員であろうが、なかろうがどうでもいいことです。
何が好きで何が嫌いかというのと同じようなものです。自分の考えと異なる立場の人を認めたくないという行動が差別な社会を生んでいます。
それと同じ行動をしようとしているのが、このような記事だと思ってしまいました。
どんなニュースでも見てくれるのではないから、こうした偏見や差別の思いをあえてニュースにすることで注目を求めているということなのでしょうか。
ちなみに、創価学会員の有名人を紹介しましょう。
これを知っても何か変な気を持つ人は大抵の場合、創価学会について詳しく知らない人ばかりです。
偏見とは、そのほとんどが噂ばかり。
情報があふれる時代と言っても、正しく知ろうとしない人がなんと多いことか。
石原さとみさんご夫婦が学会員であろうとなかろうとそんなに大きな違いはあるでしょうか。
どうでもいいことに踊らされている自分たちがいるということを理解していかないとと思いました。
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